高校の修学旅行の写真展で、私の作品の1つが総合第2位となった

 今日のバーベキュー場の勤務は午前8時半から午後1時までであった。
 予約客は1グループもない。こんな日の業務は公園内の巡回と遊具の点検、バーベキュー場内の落ち葉掃きぐらいのものである。
 当然、コーヒータイムの回数も増える。
 私はそのコーヒータイムを利用して、コミュニティ推進協議会の広報誌に掲載する運動会の写真を選っていた。私は事前に40枚ほどに限定し、A4用紙にカラー印刷して持って来ていた。
 すると同僚の男性メンバーが「そんなことばっかりやっているとインク代が大変でしょ。コミュニティ協議会は負担してくれるんですか?」と訊いてきた。
 考えてみれば、広報部会の副部長になって3年になるが、インク代はもとより、コピー用紙代もイベント会場に行くまでのガソリン代も、公民館まつりに掲示するB紙代や写真のプリント代もコミュニティ協議会からもらったことがない。すべてが自費であり、ボランティアである。
 何が私にそうさせているかと言えば、イベントや行事の写真を撮るのが好きで、これまで自治区やコミュニティの広報誌の記事を書いてきたが、それ自体、嫌いではなかったからだ。
 私は高校2年生のときに文芸部の部長になってから、文芸部の機関誌に小品を書いたり、また頼まれれば新聞部の穴埋め記事を書いたり、読書雑誌「学鐙」や全国図書新聞に寄稿したりしていた。
 大学に入ってからも文芸部の創設メンバーとなり、再発刊された機関誌に「ある伝説の記」というタイトルの小説を投稿したりもした。
 サラリーマンとなり、社内報の発行にも携わり、幾つもの記事やコラムを書いてきた。また、ある時期だけであったが、親会社である三菱グループの機関誌「マンスリーみつびし」の地元の協力会社関係の関連記事にも携わっていた。
 だが、哀しいことに私の手元にその資料はいっさい残っていない。
 そして、今は自分のために「ヒカレものの呟き」というブログを書き続けている。
 考えてみれば、高校2年生から、多少のブランクがあったにしろ、文章を書くという行為を継続してきている。
 認知症にならない限り、今後もブログは続けていくつもりである。

 午前10時のコーヒータイムのとき、女性メンバーが「いつから、写真を撮るのが好きになったんですか」と訊いてきた。
 思い返せば、高校2年生のとき、中学からの友だちが生徒会長になり、私に生徒会を手伝ってくれないかと頼まれ、やんちゃで口下手な私だったが、彼の依頼を引き受けた。
 その生徒会の役員のときに、四国地方への修学旅行があった。
 帰ってきてから間もなく、生徒会の女性副会長と相談し、図書館で修学旅行の写真展をやることを決めて、生徒会長である中学からの友だちに提案した。彼は同意してくれ、学校の許可を取ってくれた。副会長と私は、早速、写真展に出品する作品の募集を行った。
 どれほどの応募作品があったのか、今は覚えていないが、出品者の写真のサイズはまちまちで、B紙のレイアウトに苦労したことは覚えている。
DSCN3502 (2).JPG 実は主催者である私もその写真展に4枚も出品した。今でいうL版であった。
 4枚すべてが、修学旅行のバスガイドの写真であった。1日目のバスガイドと2日目のバスガイドは別の人であったが、高校2年生の私からすれば、美人であった。
 その修学旅行の写真展で、私の作品の1つが総合で第2位となった。
 残りの3枚に順位は付けられていなかったが、ぜひとも譲ってほしいという希望者が複数表れて、別々に提供した。
 おそらく、私が写真に興味を持つようになったのは、その写真展で総合第2位になったのがきっかけである。
 今日、高校時代のアルバム写真を開いてみると、サービス版であるが、ちゃんとその4枚が貼ってあった。
 総合第2位となった写真のバスガイドは、当時、私が夢中になっていた東映のお姫様女優に似ていた。今、健在であれば、とうに90歳を超えているのではなかろうか。

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