私がBIGLOBEウェブリブログを立ち上げたのは、最高の選択であった

 私は昭和19年生まれだが、パソコンに関しては中途半端な世代である。
 PC時代の対応に遅れたてはならないと、会社からの指示で、一太郎か花子か、どちらのソフトウェアだったかは忘れたが、大名古屋ビルジングの三菱電機の会議室で4日間の講習を受けさせられた。今から30年も前のことである。
 確か、交通費も昼食代も自費で、しかも隔週で土曜日が休みだったので、せっかくの休日をこの講習でつぶされるのは、嫌でたまらなかった。
 考えてみれば、この時代は会社の指示で、私は品質管理やVA・VEの講座、接客マナー研修などを受けさせられたが、土日曜日が多かったし、すべて無報酬であった。
 上述の花子の講習では、1人に1台、パソコンをあてがわれ、三菱電機の技術者から基礎知識から応用までを学んだので、講習の終了時には何とかなりそうな気になっていたが、肝心の事務所には、パソコンは3台しか置かれていなかった。30人ほどのスタッフで、共同で使うようにと言われていた。
 その3台は専属の女性スタッフに占有されることが多く、そうかと言って自費でパソコンを購入するほどの熱意もなく、私は仕方なく公式書類を手書きで作成していた。
 そんな日々が3ヶ月も続くと、大名古屋ビルジングの三菱電機の会議室で受けた講習の内容が頭から、きれいに消え去っていた。
 そして私が役定となった55歳のとき、自分の担当客先である三菱重工とのオンライン化が進み、やっと私にパソコン1台があてがわれた。
 そのときに私がやれることは、自社のIDと私のパスワードを入力し、三菱重工からオンラインで送られてくるグラフや表に数字を書き入れたり、指定フォームに日本語を打ち込んだりする単純な作業だけであった。
 自ら表やグラフは作れないので、本社の仲のいい女性スタッフに頼んだり、三菱重工の付き合いの長い総務課の主任に頼んで、メールで送ったりしてもらっていた。総務課の主任は私と同じ年齢の女性であった。
 そんなことが、会社をRetireする62歳まで続いた。
 62歳の6月から、職業訓練の一環として、名古屋の外国語学校でビジネス英語を学んだが、パソコンのスキルがなくてもまったく支障がなった。
 62歳でシルバー人材センターの会員となり、市営駐車場の職群リーダーとなってからは、パソコンで書類を書くことになったので、娘に当時、使っていたディスクトップにWordのソフトをお気に入りに入れてもらい、その都度、書類を作成していた。
 と同時に、【自分の人生でTimelyな決断ができなかった自分に対する愚痴や独り言、家族や友だちに向けてのメッセージ】を残すために、BIGLOBEウェブリブログを立ち上げ、Wordを使い、記事をUPしている。現在14年目に入っている。
 ところが68歳のとき、自治区の区長から広報誌「自治区だより」の編集を頼まれて、またWordを使い、誌面の記事を書くようになった。
 それから現在に至るまで、私にとってWordのソフトとは縁が切れなくなった。
 そして、今はコミュニティ推進協議会の広報部の副部長を仰せつかり、広報誌の発行に携わっている。
 私は外国語学校の訓練期間が終了してから、約3か月間、パソコンの有料の麻雀ゲームにはまり、月に1万円近くをつぎ込み、半日以上もパソコンの前に座っていた。
 そう言った意味でいくと、BIGLOBEウェブリブログを立ち上げたのは、最高の選択であった。
 私は高校時代、文芸部に所属しており、大学時代には文芸部の創設メンバーとなり、機関誌の作成に携わっていたので、自由な文章つくりは好きな方であった。そう言った意味でも、BIGLOBEウェブリブログの存在は大きかった。
 多少の熱があっても、膝ががくがくしても、体がだるいときも、私の重要なルーティンワークなので1日でも休むと、大きな忘れ物をしている気になってくる。
 今日の記事がUPできそうなので、いつものように気分よく、就寝することができそうである。

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