私は小学生の頃から成人するまで、とにかく映画が好きだった
今日の中日新聞の地方版に【「伏見ミリオン座」正式開館 名古屋】という見出しの記事が載っていた。内容は次のようだ。
<移転、新築された名古屋市中区錦2の映画館「伏見ミリオン座」が19日、全4スクリーンが稼働して正式オープンした。上映開始前には映画評論家のおすぎさんや字幕翻訳家の戸田奈津子さんらがテープカットをし、オープンを祝った。>
思わず、懐かしさがこみ上げてきた。
私は小学生の頃から映画が好きだった。
私たちの小学生時代は、家族同伴でなければ、映画を観に行くことが許されていなかった。私はそれでも日に10円の小遣いをため、親に内緒で週に1回の割合で、映画を観に行っていた。なぜか受付で、映画館の人に入場を断られることはなかった。
私は小学生のころからやんちゃで、両親も私には手こずっていたので、映画館の人に前もって私のことを大目に見てほしいとお願いしておいたのかも知れない。
私の住んでいる町は田舎だったこともあり、新作がいきなり封切られる1番館ではなく、いわゆる2番館だったので、中学生になると新作映画が観たくて、親に内緒で名古屋まで行くようになった。
母親は日曜日の朝、ふっと出掛けて行ったきり、午後10時半近くまで家に帰って来ない息子を問い詰めて、その理由を知り、どうしようかと思い悩んだに違いない。
いつしか、母親も映画好きな私を抑えきれないと悟り、日曜日の朝にはおにぎりを作り、私に持たせるようになった。
無理に抑えて反発を受けるよりもその方がいいと判断したからかも知れない。
私は朝の封切りから最終上映まで、同じ映画を何回も観ていた。だが、決して飽きることはなかった。
当時の東海道線上りの最終電車は午後9時45分であったため、映画館は名古屋駅前と決めていた。最終電車の時刻に合わせて、ぎりぎりまで映画を観ていたかったからである。
大学生時代になっても、私の映画好きは変わらなかった。だが、映画の趣味は東映のチャンバラ映画から、洋画に変化していった。それと同時に、鑑賞する映画館も名古屋駅前から、広小路通りのいくつかの映画館へと移っていった。
当時の私の映画館巡りは、名古屋駅前から広小路通りに出て、納屋橋、伏見、栄というコースであった。確か、名古屋駅から栄方面には納屋橋映画劇場、名古屋宝塚劇場、名宝シネマ、名宝スカラ座、広小路ミリオン座、名古屋東映劇場という順序であり、私はそのすべての映画館を征服した。
話は飛ぶが、この映画巡りのコースは10年ほど前、名古屋駅前にある外国語学校のクラスメートと一緒に3度ほど、英国PUB「HUB名古屋栄錦通り店」に飲みに行くために歩いたことがある。63歳になっていた私には辛い道のりで、ときどき若いクラスメートの歩みを止めてしまった。
朝の午前4時50分の始発電車の乗るために、今度は逆方向に名古屋駅まで歩いたが、酔っ払っているせいか、歩くのがそれほど苦痛ではなかった。
私は大学生時代、文芸部であったが、隣の部屋の映画研究会の知り合いから、たまたま映画時評のようなものを頼まれ、優待券をもらい、旧館の「伏見ミリオン座」に出掛けて行ったことがある。
確か、映画時評まがいのものを書いたのは、ジャンルック・ゴダール監督の『軽蔑』、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の『情事』だった。
だが、その映画批評は観念的な文章が多く、「オマエの言わんとすることがよく分からん」と不評であった。今にして思えば、頭でっかちの文章だった。
なお、「ミリオン座」は名古屋市の人口が100万人を突破したことに由来しているとのことである。いずれにしても、「今は昔」の話である。
<移転、新築された名古屋市中区錦2の映画館「伏見ミリオン座」が19日、全4スクリーンが稼働して正式オープンした。上映開始前には映画評論家のおすぎさんや字幕翻訳家の戸田奈津子さんらがテープカットをし、オープンを祝った。>思わず、懐かしさがこみ上げてきた。
私は小学生の頃から映画が好きだった。
私たちの小学生時代は、家族同伴でなければ、映画を観に行くことが許されていなかった。私はそれでも日に10円の小遣いをため、親に内緒で週に1回の割合で、映画を観に行っていた。なぜか受付で、映画館の人に入場を断られることはなかった。
私は小学生のころからやんちゃで、両親も私には手こずっていたので、映画館の人に前もって私のことを大目に見てほしいとお願いしておいたのかも知れない。
私の住んでいる町は田舎だったこともあり、新作がいきなり封切られる1番館ではなく、いわゆる2番館だったので、中学生になると新作映画が観たくて、親に内緒で名古屋まで行くようになった。
母親は日曜日の朝、ふっと出掛けて行ったきり、午後10時半近くまで家に帰って来ない息子を問い詰めて、その理由を知り、どうしようかと思い悩んだに違いない。
いつしか、母親も映画好きな私を抑えきれないと悟り、日曜日の朝にはおにぎりを作り、私に持たせるようになった。
無理に抑えて反発を受けるよりもその方がいいと判断したからかも知れない。
私は朝の封切りから最終上映まで、同じ映画を何回も観ていた。だが、決して飽きることはなかった。
当時の東海道線上りの最終電車は午後9時45分であったため、映画館は名古屋駅前と決めていた。最終電車の時刻に合わせて、ぎりぎりまで映画を観ていたかったからである。
大学生時代になっても、私の映画好きは変わらなかった。だが、映画の趣味は東映のチャンバラ映画から、洋画に変化していった。それと同時に、鑑賞する映画館も名古屋駅前から、広小路通りのいくつかの映画館へと移っていった。
当時の私の映画館巡りは、名古屋駅前から広小路通りに出て、納屋橋、伏見、栄というコースであった。確か、名古屋駅から栄方面には納屋橋映画劇場、名古屋宝塚劇場、名宝シネマ、名宝スカラ座、広小路ミリオン座、名古屋東映劇場という順序であり、私はそのすべての映画館を征服した。
話は飛ぶが、この映画巡りのコースは10年ほど前、名古屋駅前にある外国語学校のクラスメートと一緒に3度ほど、英国PUB「HUB名古屋栄錦通り店」に飲みに行くために歩いたことがある。63歳になっていた私には辛い道のりで、ときどき若いクラスメートの歩みを止めてしまった。
朝の午前4時50分の始発電車の乗るために、今度は逆方向に名古屋駅まで歩いたが、酔っ払っているせいか、歩くのがそれほど苦痛ではなかった。
私は大学生時代、文芸部であったが、隣の部屋の映画研究会の知り合いから、たまたま映画時評のようなものを頼まれ、優待券をもらい、旧館の「伏見ミリオン座」に出掛けて行ったことがある。
確か、映画時評まがいのものを書いたのは、ジャンルック・ゴダール監督の『軽蔑』、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の『情事』だった。
だが、その映画批評は観念的な文章が多く、「オマエの言わんとすることがよく分からん」と不評であった。今にして思えば、頭でっかちの文章だった。
なお、「ミリオン座」は名古屋市の人口が100万人を突破したことに由来しているとのことである。いずれにしても、「今は昔」の話である。
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