22歳の頃、私は雀荘で半年間アルバイトをしていたことがある

 私は22歳の頃、大学を休学していて、愛知県刈谷市にある雀荘で半年間ほどアルバイトをしていたことがある。
 働く時間は通常午後7時から11時までである。ただ、その時代は、大手会社でもまだ土日曜日の休みが隔週だったので、隔週の土曜日と日曜日は午後3時から店に出ていた。
 その半年間の毎週水曜日、いつも私の到着を待っていてくれるメンバーがいた。一人は刈谷市商店街にある酒屋の御主人、二人目は石材屋の御主人で通称「石屋」さん、そして三人目は呉服屋の若旦那である。
 麻雀は3人の場合もあるが、通常4人でやるものである。メンバーが足りなければ、メンバーが揃うまで、店の主人や奥さんがやったりする。
しかし、水曜日のこの3人のメンバーは私と打ちたいと言って、私の到着を待っていてくれる。セオリー通りの正攻法の麻雀を打つ私が入ると、リズム感もよく、色んなことに気を使わず楽しめるのだそうである。
 どこの雀荘でもそうであるが、麻雀を打つときのルールが、目立つところに大きく貼り出されている。
 ① 大きな声を出さない。② 麻雀をやっている人の後ろに立たない。③ 口三味線はしない。④ 先ヅモはしない。⑤ 人にアドバイスはしない。⑥ 金銭のやり取りはしない。⑦ 麻雀代のツケはしない。
 こうしたルールを厳格に守らせることが店の主人の役目である。私も当然、メンバーが足りずに卓に入ったり、代打ちをしたりする時はこのルールを守った。
 特に自営業やセールスマンの人たちは、途中2時間ほど仕事で抜けることが多く、代打ちは日常茶飯事であった。そうした場合、このルールを守り、定石どおりの正攻法でなければ、代打ちは務まらない。しかも負けない麻雀を心掛けなければ、代打ちの依頼はこない。負けない麻雀とは、大勝ちはしないが、負けも最小限にしなければならないので、かなりのテクニックがいる。代打ちの負けの分は、依頼者が引き受けることになる。

 上述の3人が同時に集まれるのは商売の関係上、毎週水曜日だけである。従って、水曜日は「雀ボーイ」としての仕事はしないので。その日だけは私の「雀ボーイ」の仕事は、雀荘の主人と奥さんが私の代わりをやってくれる。いわばお馴染みさんの接待とでも言ったらいいのだろうか。勿論、代打ちではないので、麻雀の負けは自腹である。
 3人のメンバーはともに高校の同窓生であり、特に呉服屋の若旦那は、私の1つ先輩であった。
 若旦那は23歳と若いのに、昼間でも和服を着ており、信玄袋をいつも手に携えていた。昼間の仕事のない土曜日、私が雀荘に出て行くと、呉服屋の若旦那が待っていてくれることがある。
 その日は麻雀をやらず、顔を合わせるとまず、私を喫茶店に誘ってくる。その喫茶店は中学の同級生の両親がやっていて、場所は尾張と三河の境を流れる境川の橋の近くにあり、「紫苑」という店であった。
 私は気が付かなかったが、どうも呉服屋の若旦那はその私と同級生の娘が目当てであったらしい。
 その同級生の娘は、喫茶店の手伝いが終わると、今度は名鉄の三河線沿いにあったお茶漬け屋に働きに出ていた。そのお茶漬け屋の常連だった私は3度ほど、私は誘われて、同じ刈谷市にある居酒屋に飲みに行ったことがある。そんなとき、私はいつも彼女の愚痴の聞き役に回っていた。
 それを聞きつけた雀荘の主人が、私を呼びつけ、「ISSAくん、誰と付き合おうが文句を言うつもりはないが、あの娘だけはあんたのためにならないから、もうやめた方がいい。」と真剣に諭してくれた。
 どうも付き合っている男の中に胡散臭い男性がいたらしい。
 私は初恋の人と別れたばかりで、もともとそんな気はなく、雀荘の主人の忠告どおり、呉服屋の若旦那の気持も慮って、その同級生の娘とはそれからは居酒屋に行くこともなくなった。お茶漬け屋で顔を合わせても、そんなに親しくはしないように振舞っていた。
 しばらくして、私は雀荘を辞めて、大学に復学した。
 その後、呉服屋の若旦那とその同級生娘がどうなったかは全く知らなかった。

 私がサラリーマンとなって3年後、刈谷市の繁華街から飲んで帰る途中、メイン通りを、嬌声を上げながら、ともに酩酊したカップルに出会った。
 やり過ごそうとした私に声を掛けてきた女がいた。
「ISSAくん、久し振り」と言われて振り返ってみると、あのときの同級生の娘ではないか。一緒にいた男の耳元で何か囁くと私のところへやって来て、JR東海道線沿いの居酒屋で待っているからと口早に告げると、駆け足で男の方に向かって行った。
 指名された店で待っていると、程なく彼女はやってきた。
彼女の話に依れば、私が雀荘を辞めてからも、呉服屋の若旦那は相変わらずやって来て、結婚を申し込まれたそうである。両親のやっていた喫茶店は次第にやり繰りが苦しくなり、店を閉めることとなった。生活苦もあって、結局、彼女は呉服屋の若旦那の申し入れを受けたとのことである。
 同棲してしばらくしてから、呉服屋の若旦那の母親がやって来て、どうしても別れてくれと泣きつかれ、手切れ金として500万積まれたとのことだった。
 このままやっていっても、嫁として認められないのなら、今後も苦しむことになると思い、母親の申し出を受けたしまったと涙ながらに語ってくる。
 その話を聞いた呉服屋の若旦那がどういう行動をおこしたのかは話してくれなかった。
しばらくしてから、以前、同級生の娘と2人で行っていた居酒屋の主人から、その若旦那は新しい嫁を貰い、家に帰ったそうである。
 その後の彼女の生活は、人生経験の少ない私でも想像はつく。荒んだ生活であったことは想像に難くない。
 「ISSAくんが側にいてくれたら、私の人生も変わっていたかも知れない」と同級生の娘は語る。
 私が側にいて、相談に乗っていたとしても、彼女の人生は同じような道を歩んだのではなかろうか。22歳の青二才の私でもそう感じるのは、手切れ金の500万を受け取ったときから、彼女は道を間違えたように思えるからだ。
 待ち合わせた店で、「あんた」という千昌夫の歌のサビの部分、「帰ってきてよ、ねえ、あんた」と感情を抑えきれず、泣きながら唄う彼女の顔を見ながら、この人の男苦労はまだまだ続くに違いないと、私はひそかに思っていた。
 その後、2度と同級生の娘とも会うことはなかった。

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