「いつも学年で5番以内の女の子」は最近、クラス会に出てこない

 58年ぶりに中学の同級生に会ったことから、いやでも中学生時代の自分を思い出すことになる。
 だが、中学からの友だちが昨日のブログの中で、私のことを次のように書いていた。
 【中学3年で初めて転校生(私のこと)と同じクラスになったが、ひょうきんな男ですぐに友だちになった。成績もよく、私たちのクラスにはいつも学年で5番以内の女の子がいたが、「1度も勝てなかった」と私が言うと、「オレは勝ったことあるよ」と言う。「へー、そうなのか」とその時は思ったが、】
 と言うことは、「いつも学年で5番以内の女の子」に「オレは勝ったことあるよ」と言ったことに対して、かなりの疑いを持っていることになる。
 私の中でも「オレは勝ったことあるよ」と言った記憶がある。
 だが、そう言ったのは「いつも学年で5番以内の女の子」とクラス会で久しぶりに会ったとき、直接、本人の前で言ったもので、彼もそばにいており、彼女は否定しなかったはずである。
 思い起こすと、私の中学生時代は中間試験や学期末試験の成績が廊下に貼りだされるのが常だった。
 中間試験か学期末試験かは忘れたが、私の成績は6番目で、彼女は9番目のときがあった。とにかく、彼女は何が原因なのかは分からないが、その試験では「いつも学年で5番以内の女の子」ではなかった。
 教員室で担任の先生は私に向かい、たぶん、彼女は体調が悪かったのだろうと話していた。そのとき、同じ職員室にいた隣の2組や4組の先生たちは「やればできるじゃないか」とからかったが、私はまったく気にしなかった。
 成績が下位の方の私がたまたま運よく、問題が解けて、彼女が運悪く、間違いが多かっただけのことだ。
 話は横道に逸れるが、中学のクラス会を3組合同でやったことがあったが、2組や4組の先生2人は、あいさつに行った私のことなど、まったく覚えていなかった。私は茫然としたことを覚えている。当然、私が「いつも学年で5番以内の女の子」よりも成績がよくて、職員室で「やればできるじゃないか」と言ったことなど、すっかり忘れてしまっている。

 実は、私はそれまで「いつも学年で5番以内の女の子」と口を利いたことがなかったが、成績が廊下に貼りだされたあと、彼女は私のところにやって来て、「Issaくん、先生は、Issaくんは勉強が嫌いだと言っていたけど、勉強する気になったの?」と声を掛けてくれた。
 今から思えば、勇気をふりしぼって、私に声を掛けたのは、名前も知らない男の子に抜かれた悔しさのためかも知れない。
 どう考えても、私の成績が上位になったのは偶然の結果なのに、それ以来、彼女は私に一目置くようになり、Issaくん、Issaくんと声を掛けてくれるようになった。
 今から15年ほど前のクラス会に彼女と会ったとき、「いつも学年で5番以内の女の子」は、主婦業と子育てで疲れ切ってしまい、「今、わたし、精神的に一杯一杯なの」と言っていた。ここ3回ほど、彼女は中学にクラス会には出席していない。
 「オレは勝ったことあるよ」という私の言葉を証明するためにも、来年のクラス会には出席してもらいたいものである。

 私はこのブログで、学校をテーマにした記事を235点も書いてきているが、小中学校時代のことを書いたのは意外に少なく、5、6点ほどである。
 今日は体が疲れており、せっかくの休みなのに家でゴロゴロしていた。ふと思いついて、その235の記事の中から、小中学校時代の記事を拾い出してみた。やはり数点しかなかった。
 せっかく、図書館で【はじめての自分史】という講座を受けるのだから、その記事を加筆・訂正しながら、書き残しておこうと思い立った。最初の次のような記事である。

 <私は、「いじめ」について語る資格はない。小学校も中学校も、そして高校時代も、「いじめ」をしたことも、されたことも記憶にないからである。
 ただ一度だけ、いじめられていると感じたことがある。小学校3年生までクラスで5人しかもらえない優良賞をもらっていたが、3年生のとき優良賞がもらえず、その次の賞である努力賞に終わった。
 そのとき先生から、「優良賞から努力賞に成績が落ちたのだから、Kazumi君は努力賞という賞には値しない。努力賞という賞の基準を変えるべきで、この一年間で成績の落ちたものには本当は賞を出さない方がいい。今まで賞をもらってない人、例えばH君のように、一年間努力して成績を上げたから、ご褒美として貰える賞が本当の努力賞だと思う。」と具体的に2人の名前を上げて、クラス全員の前で言われたとき、何故か口惜しくて涙が止まらなかった。
 先生の主張は正しいとは何となく分っていても、先生が憎くて仕方がなかった。
 当時、所謂「いじめ」という言葉はなかったけれど、今世間で言われている「いじめ」に近いことを今にして思えば、その時先生から受けたのかも知れない。
 それから、母親に頼み、今まで行ったことがなかった塾に通わせてもらうことになった。その上に、私が好きでたまらなかったソフトボールが私の小学五年生の年から、部として創設されることとなり、私は4年生の夏にその実地テストを受け合格し、毎日6時までソフトボールの練習をするようになったが、塾へは通い続けた。
 そうして小学校五年生のとき、また優良賞をもらうことができた。職員室で、今度は小学4年生の担任の先生から褒められたが、決して嬉しいとは思わず、なぜか悔し涙を流していた。
 それよりソフトボール部で、5年生からサードで4番を打たせてもらった方が、何よりも嬉しかった。  
 それが小中学、高校を通じて「イジメ」と感じた唯一のことである。
 ただし、私にいじめた記憶がなくとも、私にいじめられた記憶を持っている人がいるかも知れない。私には中学時代も高校時代も楽しくて、友達をいじめるほどの時間もなかったと自分では思っているが、はたして思い込みの激しい自私のこと故、「イジメ」に関しての真相は、今でも闇の中である。

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