純粋な愛は、やがて相手への思いやりへと昇華していく

 2016年7月26日から、京都御所は通年申し込み不要の無料公開となっている。
 だが、以前は、京都御所は予約申し込みをしてからでないと参観できなかった。確か、春と秋の2回の一般公開となっていたが、それもわずか5日間と短く、その期間に観光客が殺到していた。
 52年前の秋、私は京都御所の一般公開の折に、初恋の人T.T.と一緒に、御所巡りに行ったことがある。
 彼女は、京都の薬科大学で勉強していており、山科にある寮に住んでいた。
 男なら誰でもそうであろうが、女性を好きになると普段は無鉄砲と思えることでも、抑えが利かなくなり、居ても立ってもおられず、52年前、今のように携帯電話もない時代のこととて、T.T.の京都山科の大学の寮に、何度か電話を掛けてみたが連絡が取れず、焦りにあせった。
 だが、私はなりふりも構わず、午前10時に京阪の三条京阪駅に待っているからと管理人に言づてを頼んで、無謀にも夏休みのアルバイト代をふろころに、名古屋から新幹線に乗り、京都に出掛けていった。
 身震いするほど不安な気持に駆られながら、駅の入り口で待っていると、時間きっかりに彼女はやってきてくれた。私の突然の京都訪問に、彼女も決して不快な気持を表わすことはなく、私の姿を見つけると腰のあたりに右ひじを当てながら、手のひらを私の方に向け、小さく何度も振ってくれた。
 確か、彼女は19歳になったばかりだったが、セーラー服と違い、向かい合ったとき、薄いエンジ色の合服の下に、確かな胸の膨らみをあり、高校生の頃の印象とまったく違っていた。
 親元を離れて暮らすようになって、半年余り経ったせいか、彼女は確実に大人の女性に変貌していた。
 三条河原町から御所へは、どのようなルートで行ったかは全く覚えがない。参観料が要ったかどうかも、御所のどの門をくぐったかどうかも今は判然としない。
 御所の長い砂利道を初めて腕を組んで歩いたことだけは、はっきり覚えている。
 じかに肌が触れた訳ではないが、私の左腕に今まで味わったことのない彼女の腕や指の動きが、ある種のなまめかしい現実感を秘めて、私に伝わってきていた。
 私たちのことを誰一人として知らない京都の地だということもあってか、一瞬だが、このまま2人で、誰も知らない何処かに行って、行方知らずになってしまいたい衝動に駆られていた。
 私たちは、腕を組んだまま、思いのほか、桜も橘も小さかったが、紫宸殿の右近の桜、左近の橘をしばらく眺めていた。
 京都御所に詳しいT.T.に、右近の桜、左近の橘の歴史を教えてもらい、人混みをかき分けて、祈るように2人でじっと手を合わせていた。
 私は不意打ちを喰らわすように、「オレが、28歳になったら、結婚しよう!」と告げていた。
 T.T.は微笑むと左唇下にえくぼができる。そのとき、私にはそのえくぼが見えた気がした。彼女は確かに頷いていたのだ。
 その後、私の両親が2人とも入院し、しかも3か月後に父親が胃癌で亡くなり、私は生活のために働かなければならなくなった。
 このまま、私と付き合っているのは、彼女のためにならないと、私は自らの意思で付き合うのを一方的に止めてしまった。
 それからの52年間、私が28歳になったら、結婚しようと告げた言葉を、T.T.がどんなふうに受け取っていたか、詮無いことだが、ふと知りたいと思うときがある。
 こんなことは自慢にもならないが、自らの言葉を裏切らないように、私は28歳まで、女性というものを知らなかった。
 さまざまな人の紹介で、何人もの女性と知り合うきっかけはあったが、T.T.のことが頭から消えない限り、相手に失礼だと思い、すべて断ってきた。
 不思議なもので、男も30歳を過ぎると、私に女性を紹介しようなどと言ってくれる奇特な人はいなくなった。
 するとどうだろう、初恋の人T.T.を慕う気持は次第に薄らいでいき、いつの間にか、私の心は、彼女が幸せに暮らしていることを願い、そのことを信じようとしている。
 月並みだが、時間という縦軸と空間という横軸が交差して、弾けるように生まれた愛は、誰が何と言おうと唯一無二のものであり、やがて、その愛はは相手への思いやりへと昇華されていく。
 ひょっとして、それが生きるということなのかも知れない。

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