歌は 廃れてしまった思い出に関係なく、今も生き続けている

 この10年、酒もタバコもやらなくなり、月に何度か楽しんできた競馬も最近はやらなくなった。
 今の私の楽しみは、自分の住んでいる市の図書館で、本を読むぐらいになってしまった。
 だが、このところ、それに加えてYouTubeで若い頃に流行った歌を聴いたり、ときには自分も歌ったりしている。さすがに、この楽しみは女房が外出しているときだけにしている。気が狂ったかと思われるのも癪だからである。
 おそらく、自分が歳を取ったからなのであろうが、若い頃の歌を聴いて、やんちゃだった自分を振り返っている。そして、最近になり、特に五木ひろしさんの「裏通り」という演歌を歌ったりしている。
 実はこの歌には、今でも拭いきれない思い出がある。
 私は28歳の頃、中学の2年先輩の女性と付き合っていた。
 付き合うきっかけは、高校時代の女友だちとまだ国鉄と呼ばれていた刈谷駅近くの喫茶店で会っているとき、そこへ女友だちの知り合いの彼女がやって来たことからであった。3人で話をしていて、彼女の中学が私と同じ中学であったのと、中学時代の英語の先生と社会の先生が一緒だったことで、次第に話が弾み、急激に仲が良くなっていった。
 一度、2人だけで飲みに行こうということになり、知立市にある「屋台村」に飲みに出掛けて行った。屋台のいいところは、格安で心置きなくお酒が飲めることだ。
 名鉄三河線の刈谷市駅で、午後7時という割りと遅い時間に待ち合わせることになった。
 後で分ったことだが、その時間に待ち合わせたのは、彼女には中学生と小学生の子供が2人いて、夕食後でなければ、家を空けることができなかったからであった。
 名鉄の知立市は、名鉄本線と三河線の分岐点で、その2つの線路の間に明治用水という農業用、工業用の水を供給する水路があり、常に豊富な水が流れていた。
 今はもうないが、その2つの線路と用水沿いに細長い三角形の土地があり、80軒ほどの屋台が並んでいた。そこは通称「屋台村」と呼ばれていた。
 その頃はカラオケなどなく、ギターを抱えた流しが3人ほどいて、屋台のあちこちからは、ギターをつま弾く音が聞こえていた。
 飲むほどに酔うほどに、彼女のテンションは上っていく。
 ひょっこり顔を出した流しの人に、彼女は「アンタのいちばん好きな歌を歌って!」とリクエストする。そして、流しがギターを弾きながら歌い出したのが、五木ひろしさんの「裏通り」であった。
 こぶしを利かした流しの人の歌は、私の心に沁み渡った。
 特に【好きというならついて来い 俺もいのちをくれてやる】という3番の歌詞は、彼女と別れることになってから、いつまでも私の記憶から消え去ろうとしなかった。
 付き合い出して2年後、中学生と小学生の子供2人の親権を放棄しても、私に付いてくると告白されたとき、自分勝手な私は【好きというならついて来い 俺もいのちをくれてやる】とは言えなかった。つまり、彼女の決心に尻込みして、私は逃げてしまったのだ。
 それから、何年経ったのだろうか。
 私は刈谷市の土日市場の飲食街の居酒屋で、「屋台村」で彼女のリクエストに応えて、「裏通り」を歌った流しの人に偶然、出会った。その人曰く、カラオケが出始めると流しは職業として成り立たなくなり、当時、流行り出していた回転ずしの職人になったということだった。
 私は偶然の出会いに心を動揺させながら、カラオケで再び「裏通り」をリクエストした。こぶしを利かした歌い方は変わっていなかった。後ろめたさだけが体中を駆け巡っていった。
 その後に何度か、同じ居酒屋で顔を合わせたが、もう二度と「裏通り」をリクエストすることはなかった。「裏通り」という歌を封印することで、彼女との思い出から逃げようとしたのだ。
 あれから40年、「何を今さら」と自己反省しながらも、私は最近、毎日のように「裏通り」を歌ったりしている。考えれば、彼女はすでに74歳になっている。とうに私のことなど、忘れてしまっているに違いない。
 「裏通り」という歌だけが、廃れてしまった2人の思い出に関係なく、今も生き続けている。だから、私は今、この歌にこだわっている。

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