大名古屋ビル周辺は もう昔の佇まいはどこにも残っていない

 私が今アルバイトをしている市の公園には、管理事務所とバーベキュー場を管理するバーベキュー班と園内の清掃とトイレの維持管理を担当する除草班という2つの班がある。
 その除草班の中に高校の2年後輩の女性がいる。
 と言うことは、彼女は私の初恋の人T.T.と同級生ということになる。しかも高校へは初恋の人と同じように名鉄三河線で通っていたとのことで、朝夕の通学電車では、いつも一緒だったと言うではないか。
 取っ掛かりの話題は専ら、名鉄三河線についてだった。
 ちなみに私が通っていた高校の最寄りの駅は、名鉄三河線の刈谷市駅である。
 その刈谷市駅から、初恋の人T.T.の家のある碧南駅までにある駅は次のようである。
 【刈谷市 ― 小垣江 ― 吉浜 ― 三河高浜 ― 高浜港 ― 北新川 ― 新川町 ― 碧南中央 ― 碧南】
 私の高校時代と駅名が違っているのは、もともとの新須磨駅を碧南方面に位置をずらし、碧南中央駅ができたことだけである。
 除草班の2年後輩の女性は高浜港、初恋の人T.T.は碧南から、高校のある刈谷市まで通学していた。
 名鉄三河線は意外に私とは縁が深い。
 高校時代3年の担任だった英語の教師は、その当時、高浜港に住んでいたし、今年の1月に亡くなった無二の親友は北新川から通っていた。それより何より、初恋の人T.T.と別れ難くなると、2人で三河線に乗り、新川町駅で下りて、碧南駅まで幾度か歩いたことが、私の青春の象徴と言っても過言ではない。
 一般的に、女性はきっぱりと自分の気持にケジメを付ける人が多いが、男は死ぬまで、初恋の人の面影を引き摺っていくタイプが多いようだ。私は間違いなく引き摺るタイプの人間で、70歳を超えた今でも、初恋の人T.T.の消息は知りたいと願っている。
 だが、たとえ通学電車で何度も顔を合わせていても、同じクラスにならないと細かなエピソードは持っていないようで、しかも、これまで一度も同窓会を開いたことがなかったようだから、高校卒業後のT.T.消息については知らないようだ。
 そう言えば、私の住んでいる市の前市長も同じく高校の2年後輩で、市長を勇退した年に市庁舎で会ったので、初恋の人T.T.のことを尋ねてみたが、顔は覚えていてもクラスが一緒になったことがなく、やはり、これまで同窓会も開かれたことがないので、高校卒業後の詳しい消息は知らないということであった。残念至極。
 もう随分前のことになるが、このブログに自分のT.T.に対する行動や思いについて、次のように書いたことがある。
 <私は、女性に対しては軽佻浮薄、好きだと思うと躊躇なく話しかけていくような男であった。ほかの男から見れば、図々しくて鼻持ちならない男だったに違いない。
 だが、相手がその気になって、「友だちになってほしい」などと言ってくるとそれまでの態度を豹変させて逃げ出すタイプであり、その気になった女性から見るとまったく信用ならない男であった。
 ただ、自分がこれまで勝手に初恋の人だと公言しているT.T.に関しては、それまでの女性とは全く違う気持を抱くようになった。
 割りと軽い気持で、うちに来ないかと誘ったら、彼女が躊躇なく私の家に来てくれ、そのとき、自分の将来の夢を語り合ったり、名古屋在住の共通の友だちの誕生日祝いに2人で行く途中で、突然の驟雨の中、ずぶ濡れになったりしたことが、私の気持を増幅させていった。それまで女の子とはまったく違う感情が生まれ、知らぬ間に私はT.T.に夢中になっていった。
 50年も経った今でも、彼女が満更でもなかったと、私はうぬぼれている。
 だが、その後の私は強引な行動に出ることが多くなり、彼女にとって私はストーカーに近い存在になったのではなかろうか。
 彼女が京都の大学に行っていて、休みに帰省しないとなると私は何度も京都に出掛けて行ったし、名古屋大学病院で研修すると聞けば、何度も病院まで迎えに行ったものだ。
 今から考えてみれば、私はいつしか、彼女にとって迷惑千万な男に成り下がってしまったようである。>
 私は彼女のことを思い、28歳まで童貞であった。彼女への思いが本当だということを自分に言い聞かせるためだった。
 そう言えば、突然の驟雨に見舞われ、ずぶ濡れになった大名古屋ビル周辺は私の昔を懐かしむ気持を置き去りにして、時は流れていき、もう昔の佇まいはどこにも残っていない。

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