君のことは一生忘れないから、50年前の私はそう誓っていた

 私はこのブログで、自分の恋愛体験を幾つか書いてきた。
 だが、どれもこれも成就した恋愛の話ではなく、さまざまな条件と状況が重なって、自ら身を引いた片思いのような恋についてばかり、書いてきた。
 中でも、大学時代に知り合った同級生の女性のことが、最近になって、不意に頭をよぎることがあり、必死で彼女の顔を思い出そうとするが、輪郭さえも結ぶことができず、愕然とすることがある。
 それでも、彼女の紅潮した頬に涙が伝わっていく瞬間の表情だけはかすかに憶えている。哀しいが、やはり、彼女の輪郭をはっきりと結ぶことはできない。
 実は9年前、彼女について、このブログに次のように書いたことがある。
 <大学に入学してしばらくは、何事もなく、淡々と日々が流れていた。
 私は大学入学と同時に家庭教師をやり、月に1万8千円ほど収入があり、その上奨学金を月5千円貰っていて、月の授業料6千円を支払い、好きな作家の本を月に数冊買っても、自分の小遣いはまだ充分事足りていた。大学卒の初任給が1万8千円の時代であった。
 それゆえ、私は無理に夏の休みにアルバイトをする必要がなく、私の夏休みは専ら、教職課程を取るため、大教室で開かれる集中講義や、当時、興味を持っていた経済学部の集中講義を受けていた。
 大学1年のときの教職課程の必須科目「民法」の授業で、私はたまたま文学部哲学科の同級生の女性と隣り合わせの席で授業を受けた。その後の「日本国憲法」の授業のときも「教育基本法」の授業ときも、彼女と同じ席であった。
 大学1、2年時代、私はどちらかと言えば、不真面目タイプの学生であり、真面目な女子大生にとっては、私みたいな訳の分らぬタイプは避けたがるものだが、彼女はそんな素振りもみせることなく、いつも私の隣りの席で、同じ授業を受けてくれていた。
 私は大学に入っても、初恋の人が忘れられず、女性に余り関心を持つこともなかったが、その女性の奥ゆかしさや清楚さが気に入り、4日目に一緒の席になったとき、始めて私の方から声を掛けた。
 彼女は大学の付属高校の出身であり、希望は私のいる文学部英文学科だったが、入学試験の結果が思わしくなく、第二希望である哲学科に入学したと正直に話してくれる。
 将来は教職課程を取り、社会科の先生になりたいとも語る。父親は弁護士のようで、時々NHKの教育テレビに出演しているとのことだった。
 集中講義は夏休み2週間ほどである。
 私たちは知り合いになると、その後の集中講義は毎日一緒で、昼の食事のときも一緒であった。集中講義が終了して、名古屋駅へ向かうときにも、彼女は御器所(ごきそ)通りに自宅があったので、わざわざ御器所通り経由の市バスを待って、2人で一緒に帰っていった。
 集中講義も終わり、9月に通常授業が始まると、2人は学科が違うため、ときどき食堂で会うだけで、また別々の大学生活を送るようになった。
 だが、大学2年の夏休みに、去年と同じ大教室で受けた教職課程の「教育原理」の集中講義で、彼女も同じように受講するのではないかと淡い期待を持って、去年と同じ席で待っていた。
 しかし、授業直前になっても彼女の姿を捉えることができなかったので、私は諦めかけていた。教授が教壇に着き掛けたとき、彼女は気配を悟られないように、静かに私の隣りの席に座ったのである。
 私が「今年もよろしく」と声を掛けると、彼女は、「別のところに座っていたんだけれど、あなたが一人だったので、今年も来ちゃいました」と声を掛けてくる。それから2週間、1年前と同じように、2人の時間が流れていった。
 集中講義が終わろうとしていた頃、「3年になって専門課程になっても、文学部の共通科目を一緒に受講できるように調整してくれますか?」と彼女は提案してきた。私に異存がある訳がない。
 互いに3年生となり、カリキュラムをつき合わせたが、2人の共通科目は「西洋哲学史」と「経済原理」しかない。それは週に2回しか会えないことを意味している。
 私はそれでもよかった。心許せる友だちのいなかった私には、彼女と一緒にいることで、私の孤独感がどれだけ癒されたことか。
 そんな大学3年の後期、私の父親が胃癌に罹ってしまった。2週間後、看病疲れで、母親も高血圧と糖尿病で、父親と同じ病院に入院してしまった。
 私は家族を養うために色んなアルバイトに奔走することになる。
 必須科目はぎりぎりの出席率で学校に通ったが、出欠席を取らない共通科目の「西洋哲学史」と「経済原理」は休むことが多かった。
 そんな私を助けようと彼女は毎週しっかりとメモを取り、きっと夜遅くなるまで掛けて纏めたに違いないノートを私に渡してくれるようになった。それでやっとどうにか、3年は留年することなく済んだが、大学4年になると養父の病状が日毎に悪化し、母親も退院できず、治療費がかさむようになってしまった。
 私は悩みに悩んだが、自分が彼女の側にいることさえ、罪深いことのように思われ、大学4年になると同時に、彼女に詳しい事情を話すことなく、2人がはじめて知り合った大教室に呼び出して、別れを告げた。
 色白で、恥ずかしがると両頬に赤みが浮き出してくる彼女の顔が、そのときばかりは、驚愕のためか、頬は赤身を増して、唇もかすかに震えていた。
 君のことは一生忘れないから、私は心で叫びながら、大教室を飛び出していった。学生が一人もいない空間で、彼女のすすり泣く声が背後から聞こえてきた。>
 あれから、50年以上の年月が経っている。
 君のことは一生忘れないからという約束は辛うじて守ってきたが、今や彼女の顔の輪郭がぼやけてしまっている。これも歳のせいだろうか。

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