もし それが わたしだったら・・・・・・

 安倍晋三首相は、今年の年頭の記者会見で、第二次世界大戦後70周年を記念する談話に触れて、国の内外に波紋を読んだ。
 おそらく8月15日の終戦記念日に発表されるのではないかと言われているが、そんな先の談話について、早々画像と言及するのは、これまでの首相談話とは違い、独自の考えが盛り込まれた談話を表明するのではないかと言われている。
 この年頭の記者会見に対して、中国、韓国、アメリカなどの海外メディアも大きく取り上げられていた。中国・韓国は警戒感を表し、アメリカはこの談話を概ね好意的に捉えている。
 やはり戦後70周年という日が近づくにつれて、第二次世界大戦後について、さまざまな立場で論評する記事が増えてきた。
 そんな中、今日の中日新聞の朝刊コラム「中日春秋」に茨木のり子さんの「木の葉」という詩が取り上げられていた。
 「木の葉」は茨木さんの詩集『自分の感受性くらい』に収められている詩である。
 この詩集に収録されている詩は1969年から1976年に掛けて発表された20篇で、この「木の葉」は1975年に「本の手帖」に掲載された詩である。奇しくも1975年は戦後30周年ということになる。
  【木の葉】 詩集『自分の感受性くらい』より
   高い梢に
   青い大きな果実が ひとつ
   現地の若者は するする登り
   手を伸ばそうとして転り落ちた
   木の実と見えたのは
   苔むした一個の髑髏である

   ミンダナオ島
   二十六年の歳月
   ジャングルのちっぽけな木の枝は
   戦死した日本兵のどくろを
   はずみで ちょいと引掛けて
   それが眼窩であったか 鼻孔であったかはしらず
   若く逞しい一本の木に
   ぐんぐん成長していったのだ

   生前
   この頭を
   かけがえなく いとおしいものとして
   掻抱いた女が きっと居たに違いない

   小さな顳顬のひよめきを
   じっと視ていたのはどんな母
   この髪に指からませて
   やさしく引き寄せたのは どんな女(ひと)
   もし それが わたしだったら・・・・・・

 ここまで書いてきたら、茨木さんは絶句し、筆が止まって書けなくなる。
 「中日春秋」の言葉を借りれば、【海外での戦没した日本人およそ二百四十万人。しかし、収容された遺骨は百二十七万柱ほど】で【そういう骨が戦後七十年たった今も、どこかで眠っている】と思えば、このあとどんな言葉を紡げばいいのか、余りの哀しさ、悔しさ故に茫然として、どんな言葉も思い浮かばなかったのではなかろうか。
 やっと筆を取って、【褒めるべき終行 見出せず】に綴られたのは次のような言葉で、まるで未完の詩のように結んでいる。

   絶句し そのまま一年の歳月は流れた
   ふたたび草稿をとり出して
   褒めるべき終行 見出せず
   さらに幾年かが 逝く

   もし それが わたしだったら
   に続く一行を 遂に立たせられないまま

 私は1944年生まれで、戦争体験の世代ではない。だが、同じ町内でも実際に帰還した人たちがいて、軍服とか落下傘とかを見せられて、ジャングルでの悲惨な戦闘体験に驚いたり、場合によっては相手を殺傷した自慢話を聞いたりしたものだ。
 しかし、それは飽くまでも伝聞であり、幼かったこともあって、はたしてどんな話を聞いたのか、記憶に残っていない。もう私の周りには語り部としての戦争体験者はいない。
 ましてや【苔むした一個の髑髏】の母親もいない。未だに海外での戦没した日本人およそ240万人の半分以上が海外に眠っている現実がある。私たち日本人はそのことを常に自分に問い掛けて、いつまでも記憶に留めておかなければならないのではなかろうか。
 首相の70周年の談話には、外国に向けてのメッセージだけでなく、こうした人たちの悲しみにも配慮した談話になってほしいものである。

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