人間と生まれたからには、それぞれの人生には意味がある

 今日、ドリアン助川氏の『あん』を読み終えた。
画像 物語の進行もエンディングに向けた伏線も実にオーソドックスで、この小説のストーリーをそのままなぞってしまうと、著者の思いが霧消して、肝心なテーマが遠のいていくような気がする。
 前回の「宮崎美子のすずらん本屋堂」によれば、この小説は樹木希林さん主演で、映画化されるとのことである。従って、粗筋は帯裏に書かれている内容紹介に少し付け加えるだけに留めたい。
 <線路沿いから一本路地を抜けたところにある小さなどら焼き店「どら春」がある。千太郎が日がな一日鉄板に向かう店先に、バイトの求人をみてやってきたのは70歳を過ぎた手の不自由な女性・吉井徳江だった。徳江のつくる「あん」の旨さに舌をまく千太郎は、彼女を雇い、店は繁盛し始めるのだが、・・・・・・。そして、順調に見えた「どら春」の経営だったが、ある日を境に客が減っていく。指が折れ曲がり、左右の目の大きさの違う老女・徳江が、ハンセン病患者だという噂が流れたからだ。
 偏見のなかに人生を閉じ込められた徳江。生きる気力を失いかけていた千太郎。ふたりはそれぞれ新しい人生に向かって歩きはじめる。>
 私が小学生の頃、ハンセン病は不治の病とされ、そればかりか人に感染する悪魔の病気で、その恐れから罹病すると人知れず隔離されたという話を何度も母親から聞かされていた。この世でいちばん怖い病気だと教え込まれていたのだ。
 この小説の後半、ハンセン病療養施設の徳江から、千太郎に送られた手紙の中に次のような言葉がある。
 <私は小さい頃、なにになりたいという夢が特にない子供でした。
    (中略)
 でも、この病気になり、もう二度と世間に出られないとわかってから、なりたいものへの夢を持つようになって、困りました。
    (中略)
 この思いはずっと続きました。病気ならいざ知らず、(ハンセン病が)治ってからも園(療養施設)の外には出られない私。こんなにも働いてみたい、世の中の役に立ちたいと思っているのに、現実は垣根に閉じ込められたまま、世の人々の税金で食べさせてもらっている。
 何度死にたいと思ったかわかりません。私の心には、世の役に立たない人間は生きている価値がないという思いがあったからでしょう。人が生まれてきたのは、世のため人のために役立つためだという信念があったからなのです。>
 おそらく、ドリアン助川氏が言いたかったことがこの文章の中に凝縮されているのではなかろうか。
 偏見のためにはじき出され、世の中に役立ちたいとどんなにあがいてみても、世間に受け入れてもらえない人間がいたという現実を突きつけて、人は等しく夢を持って生きなければならいないというメッセージのような気がする。
 私の20代の中頃、ハンセン病を扱った松本清張の小説『砂の器』が、監督・野村芳太郎 、脚本・橋本忍、山田洋次で映画化された。この映画の前半は殺人事件の動機を解明する筋立てとなっている。だが、後半部分は犯人の動機がハンセン病に関する家族の隠された謎を解くのがメインの筋立てとなった作品であった。
 映画化されたのは昭和35年だが、それに先立つ昭和31年、ローマでの国際らい会議で「すべての差別法は禁止されること」と非難されたにもかかわらず、日本では平成8年「らい予防法廃止法」の成立まで、人権侵害とも言える偏見が残っていた。
 従って、映画化された当時の反響は大きかった。
 今の日本では、ハンセン病に罹るのは年間で1人ぐらいだと言われている。従って、過去、どんなにハンセン病患者に対する偏見が非人道的だったか、という設定が、どこまでのリアリティーを持って、現代の読者に届くのだろうかという疑問は残っている。
 だが、ひとたび人間と生まれたからには、いかなる人生にも意味があることだけは、誰にも否定されることはない。
 実はこの本を読む前は、4月から中学生となる上の孫娘に読ませたいという気持が強かった。だだ今はなぜか孫娘の気持に任せようという気になっている。

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