墓地の一画に 古びた墓石が山積されていた

 このところ、風邪気味で微熱が続いている。
 保育園前でやっている交通整理員の仕事は12月25日が今年の最終日であったが、その日は私が住んでいる市では最低気温が-0℃になった日であった。女房のアドバイスを受けて、下着を重ね合わせ、襟巻きまでして出て行ったのに、道路は風を遮るものもなく、吹きさらしで2時間も立っていたせいか、その日の午後から急に熱っぽくなってきた。
 さらに26日も最低気温が-0℃であったが、私の毎年の恒例行事として、午前中に母親の実家の近くにある寺に墓参りに行ったことも、こんなに微熱を長引かせることになった原因かも知れない。
 私はその年の暮れが近づくと、そこの寺の墓地に墓参りに行く。
 墓に水をかけ、花をそなえ、手を合わせる。そうした毎年の恒例行事が始まってから、もう何年経つのであろうか。
 娘と息子が成人した頃だから、もう10数年にもなるのだろうか。
 母親が建てたと思われる墓石があるからだ。墓碑銘には私の祖父の名前が刻まれ、墓石の側面には母親が昭和13年に建立したと彫られている。
 母親が墓石を建てたのは、結婚する前のようで、私の父親の名前はどこにも見当たらない。
 そう言えば、私が小学生の低学年の頃に、一度だけ、母親に連れられてこの寺に来たことがあった。
 母親に手が汚れているから洗うようにと言われ、本堂前の手水場に行き、柄杓で水を汲んでから、二の腕あたりまで付いた砂を洗っていると、どこからか、急に普段着の30代の女性が現われて、「あんた、自分が【もらわれっ子】だと知ってる?」と小声で囁いてきたことがあった。
 突然のことに驚いて、私は「知ってるよ!!」と答えたが、心の中では動揺していた。その後、私はそのことが心に引っ掛かってはいたが、母親に自分が【もらわれっ子】だったかどうか、一度も訊ねたことはなかった。
 こうして歳の暮れに毎年お墓参りに行くようになってから、母親が突然、祖母と一緒にこの地を離れたのはひょっとすると他人の口から私が養子であることを告げられるのが怖かったのではないか、そんなふうに思うようになった。
 当然、就職などで戸籍謄本など必要になるときが来たら、私が養子であることを告げるつもりでいたに違いない。
 10数年前にこの寺をふたたび訪れたとき、もしかすると母親に関連する墓石があるのではないかと、墓地中を捜し回った。やはり、上述の母親が建立した墓石が見つかった。
 何か、自分のルーツを探し当てたような気分になったことを覚えている。
 去年の暮れに訪れたとき、墓地の隅に古びた墓石が山積されている一画があり、墓石がぞんざいに扱われていることに驚いてしまった。3方向がブロック塀に囲まれてはいるが、無計画にうずたかく積まれた墓石は、何とも不気味な光景で、一瞬、寒いものが背中を伝わっていった。
 苔むして見捨てられた多くの墓、それぞれの墓にはそれぞれの名と死去した日付や建立した人の名前があるはずなのだが、余りに古くて読みにくくなっている。
 もちろん、墓碑銘が読み取れたとしても、私とはまったくの赤の他人で、余計なお世話と言われそうだが、以前はちゃんとした墓地の区画に置かれていた墓石の一つひとつには、それぞれ故人の人生があったはずである。 私はそうした人たちの人生をつい考えてしまっている。
 故人となるまでにはさまざまな喜怒哀楽があり、無造作に捨てられ、積み上げられてしまったそれぞれの墓石の奥には、その人なりの人生が隠されている。単に喜怒哀楽だけでなく、私と同じように他人を愛したり、夢見たり、挫折も味わったこともあったに違いないのだ。
 毎年一度は墓参りに来ているせいか、母親が建てた墓石は風雨に晒された何とも惨めな姿になりつつあるが、今なお正規の区画内にあり、どこかで安堵している自分がいる。

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