渡辺淳一氏の『光と影』には旧漢字が使われている

 2014年5月5日付の朝日新聞デジタル版に【直木賞作家の渡辺淳一さん死去 代表作に「失楽園」】という次のような記事が載った。
 <男女の愛と性を赤裸々に描いた「失楽園」「愛の流刑地」などのベストセラーで知られる作家の渡辺淳一さんが4月30日午後11時42分、前立腺がんのため東京都内の自宅で死去した。80歳だった。>
 渡辺氏の代表作と言えば、やはり「失楽園」「愛の流刑地」になるのであろうか。
 渡辺氏は『光と影』で直木賞を受賞したが、その内容に触れている記事は少なかったように思える。私は上述の記事にあるどちらの作品も読んでいないが、このブログには最近の『孤舟』と『愛ふたたび』の読後感を掲載したことがある。
 どちらも気分転換に読んだものだが、最初の頃の医療をベースにした作品とはまったく異なっていた。
画像 確か1970年当時に『光と影』の単行本を購入した覚えがあったので、私は今日、古い本が押し込んである本棚を手当たり次第に当たって、やっとその単行本を見つけた。早速、2時間ほどを掛けて読んでみた。
 内容は次のようだ。
 <主人公は西南戦争に従軍して、一人は田原坂で、もう一人は植木坂で共に右腕を負傷した陸軍将校の二人である。二人は大阪臨時陸軍病院で外科部長から同じ日に手術を受けることになる。
 当時の医学水準では、切断が生き延びる唯一の方法だと考えられた。
 外科部長は手術の順序をカルテの順番に行うこととして、最初の将校の右腕を切断するが、突如としてドイツの医学書に出ている腕を切断しない治療法の「実験」をやってみる気になった。つまり、最初に手術した将校の腕は普通の切断手術、後者の将校の腕は切断せずに腕を生かす手術が本人の承諾なしに施された。
 切断した方の将校は片腕となったが、治癒も早くてすぐに退院していく。だが切断しない方の将校の苦痛は筆舌に尽くせないほどで、治癒期間の長さも圧倒的に長かった。
 だが、機能的には不完全ではあったが、ともかく将校の腕は残った。左手でしか敬礼はできなかったが、外見上は不具者に見えなかった。
 それがその後の二人の人生に多大な影響を与えることとなる。
 一人は歴史的人物として陸軍大臣から総理大臣まで上り詰めていき、もう一人の片腕を失った将校は陸軍の福利施設の偕行社の長として職務を終える。
 二人はまさに「光と影」の人生を送ることになったのだ。>
 同じ西南戦争に従軍し、二人は右腕の同じような箇所に銃創貫通の負傷を負い、同じ日に右腕の手術をするというプロットは、いかにも医学部出身の渡辺氏らしいアイディアである。
 当時、渡辺氏は芥川賞に近い作風と言われていたが、私にはこの『光と影』は明らかに直木賞を意識して書かれたように思われてならない。
 私はやはり、渡辺氏の小説は初期の作品の方が好きだ。
 手元にある『光と影』は1970年の発行となっている。
 まだこの時期には、声が「聲」、足音が「跫音」、自分のことを「儂(わし)」というように旧漢字が使われている。おまけにルビも振っていない。
 私は1944年生まれで、『光と影』のように旧漢字と学校の国語教科書の漢字が入り乱れていて、実に読みづらかったことを覚えている。旧漢字は特段誰も教えてくれず、そうした漢字が出現するたびに誰かに訊かなければならなかった。一時は漢字恐怖症になったほどだ。
 1946年に漢字廃止を前提にして、「当用漢字」の1850字が選び出されたわけだが、漢字廃止という政策はどうも無理だと判断されて、1981年に常に用いられる漢字として「常用漢字」の95字が追加された。
 何が言いたいかと言えば、私の小学生から「常用漢字」の制定までは、まだ旧漢字が本の中に存在していたと言いたいのである。
 今では夏目漱石や森鴎外の作品などには旧漢字にルビが振ってあったり、新仮名遣いの表記になったりしているが、少なくても1970年代までの小説には、作家の中にも拘りを持つ人も多く、旧漢字が使われることが多かった。
 渡辺氏の『光と影』を読みながら、私はそんなことを考えていた。

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