恐怖を呼び覚ますような怖い話である

 津村節子さんの『霧棲む里』を読み終えた。
画像 奥付の前のページに津村さんの書いた「あとがき」が載っている。内容は次のようだ。
 <「群像」に発表した「霧棲む里」と「湖の亀」を中心に、短編集が出ることになった。七編中、自伝的な作品が三編はいっているが、その中の「織姫」は、雪深い郷里の寺の離れで急死した父のことを書いた十三年前の「雪の柩」と関連が深い。
 教理というものは、物を書く人間にとって断ち難い絆で結ばれているものか、わずか十歳までしかいなかったのに、時時強く引き戻されるのを感じる。>
 自伝的な作品の三編は、吉村昭氏と結婚する前の幼い頃の描いた作品である。人間ならば誰もが抱いている家族への思いや幼児時代の出来事をベースにして描かれていることもあり、現実的な衣食住が背景にあることで、一層のリアリティーがあって、自伝的とは言え、意外に抵抗なく読める作品となっている。
 だが、その他の4編はサスペンス風なタッチで描かれているので、読み終えるといつまでも余韻が残っている。
 特に表題の『霧棲む里』は私たち男性にとっては、背筋が寒くなるような展開になっている。
 主人公の女性は息子の入学手続きをするために区役所に戸籍謄本をもらいにいく。戸籍の原本の中に認知という言葉を見出して、驚愕する。主人公の知らないうちに、夫が認知した子どもがいたのだ。
 悩んだ末に、子どもを認知した女性の住んでいる住所を尋ねていく。そして探し当てる。その家の庭には幼児のものではなく、少女の服が干されている。
 <謄本で見た年月日は三年前だが、その時生まれたのではなくて、多分小学校に入学する時に認知したものと思われる。三年前に小学校に入学したとすれば、少なくても十年ぐらい前からの関係を、夫は亮子(主人公の名前)に隠し続けてきたことになる。
 家は二十坪ほどの二階家で、低い生垣をめぐらし、白いペンキ塗りのベランダがある。二階も階下もレースのカーテンがおろされていて、家の内部は見えない。
 亮子は杉木立の中に身をひそませ、絹子(夫の浮気相手の名前)の家の様子をうかがっていた。陽が沈みはじめていた。洗濯物を取り込みに、女は庭に姿を現す筈であった。自分なら、もう取り込んでいる、と亮子は思う。せっかく太陽を吸収した衣類が湿気を帯びてしまう。
 そんな世帯じみた思惑をめぐらしながら、木立に身を隠して女の家の様子をうかがっている自分があさましくなり、亮子はみじめさに堪えられなくなった。>
 主人公は、気を静めて道を引き返そうとする。
 認知した年から考えると、夫と女は主人公が流産した頃に付き合って、生まれた子どもだと推測できる。流産は自分の不注意ではなく、病気がちの姑と多忙な夫の世話、そして姑が守ってきた食料品店を切り盛りして、疲労が積もり積もったせいだと夫も知っていたはずだ。
 そして、自分ならば陽のあるうちに洗濯物を取り入れるのにと、決して家庭的とは思われない女性と自分とを知らぬ間に比べている自分がこの上なくあさましく思えてきたに違いない。
 主人公は、息子が経営に参加しているスーパーマーケットで働くようになり、長い期間を掛けて密かに貯えた給料とこれまでの預金、積み立てていた養老年金で最低限の生活ができる見通しがつき、やがて60歳になると夫や家族に何も知らせず、一人で「霧棲む里」に移り住むことを実行する。はじめての日、やがて夜の帳が下りて、そこには深い闇だけがあった。
 世の夫たちにとっては、恐怖を呼び覚ますような怖い話である。

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