第七回(昭和四十一年八月二十一日) 中学のクラス会

 昨日、中学3年のときの担任が、私たちが卒業してから「クラス誌」を発行していたが、その「クラス誌」の3号が一人の同級生によって復刊されたことを書き込んだ。
 そこには私が21歳のときに幹事を務めたクラス会の様子を綴った文章が載っている。
 このブログに書き込んでいる私の文章は回りくどくて、ダラダラと長いが、このクラス会の様子を綴った文章は文も短く簡潔で、臨場感もある。余りにプライベートな文章で独りよがりのところもあるが、このブログに残しておこうと思い立った。タイトルは「第七回 クラス会(昭和四十一年八月二十一日)」である。

 <僕らは、毎年一月二日か三日に五、六人で寺田先生宅を訪問することにしている。今年(昭和四十一年)も図々しく先生宅へ押しかけて行った。その折、僕らのクラス会のことが話題にのぼり、僕が幹事である俊和君にハッパをかけるつもりで、軽く『お前がやらなければ俺がやる』と口に出したのがきっかけで、いつの間にか幹事という汚名を着せられてしまった。
 夏も近づいてきて、そろそろと思案している折も折、先生から住所録作成とかで往復ハガキが届いた。そのハガキには、第七回クラス会は僕が幹事で準備中とあった。まさに笛に吹かれて踊り出すごとく、俊和君と僕は南中に呼び出され、日時を決め、早速往復ハガキを出したところ、一週間、十日たっても送り返されてきたハガキは半数にも満たず、思案にくれた。
 住所録作成における未返信者への訪問、そして「麦の歌(クラス誌)」発行費用徴集、原稿依頼などを兼ねて勧誘に出始めた。夕方、みんなの帰宅を待って出掛けて行くのが順当な道ではあったが、僕がアルバイトの都合で夜は一日もあけることができず、昼回るより手立てはなかった。天気の日には自転車で、雨の日には歩いて、みんなの家を訪ねたが、成果はあがらなかった。出席者数十五、六名と諦めていたが、後日、俊和君の勧誘の努力で、先生を含めて二十五、六名とふえてきた。天にものぼる心地がした。
                 ○        ○       ○
 当日、俊和君の命令で『幸寿し』へ一番乗り。『幸寿し』の前で篠原さんに出会う。自分の視力の悪さから、誰とははっきり判らず、微笑み交わしてやっと確認する。写真のフィルムを買うとのこと、別れる。
 会場へ案内されて、むせ返るような暑さの中でみんなの到着を待つ。篠原さんと松井さんが連れだって入ってくる。久し振りなのでちょっとテレる。途端に暑さのことが苦になり出す。クーラーを入れてくれと帳場にたのみに行く。それから間断なく、斎藤洋信君、清水勇君、小林錦彦君、城処安輝君、谷沢壮二君、松宮貞治君、内田寛君、岡田康治君、加藤義之君、鈴木釗次君、それにニヤケた顔で俊和君が大きなカバンを持って入ってくる。女子の方では大高さん、久米さん、野村秀子さん、間もなくして井野好子さん、鈴木良子さんと続く。俊和君が「申し訳ないが会費を・・・・・・」と回り始める。谷沢君が将棋をやろうと言う。ふと、おれは幹事なんだと頭に浮かぶが、即座に払いのけて一番打つ。善戦の上惜敗。内田君にゆずる。錦彦君が大きな声で話しかけてくる。ふと松宮君と目が合って笑う。
 三林の奴め、幹事のくせに遅い。下の帳場で誰からか知らないが、今日は出席できないという電話があったと知らされて、名前を三林と言わなかったかと尋ねてみると、そうだと答える。あん畜生。三時半を過ぎ、四時近くになっても先生が現われず、あちこちから不平がおこる。何気なく、となりにいた岡田君を見る。腹の出てきたことに驚く。ひょっとすると俺と同じ位、あるんじゃないかと考えてみる。それにひきかえ、内田君のやせてるのはどうだ。眉とひげはべらぼうに濃い。一見して、こいつは飲める奴だと直感する。相変わらず人の好さそうな城処君が、そばで先生の到着の遅いのをぶつぶつ言っている。一方、義之君が窓際にすわって、おとなしそうにみんなのやりとりを聞いている。釗ちゃんの愛敬のある顔が眼鏡越しに笑っている。
 ふとあたりを見回す。女子が奥の方で、ぼそぼそ語り合っている。こいつはいけないと思い、俊和君にそろそろ始めるかと伺いをたてる。先生の来るのを待とうと言う。クラス会なんて代物は、誰か中心になる者がいないとスムーズに運びにくいものだと思い、俊和君に同意する。清水君がやってきて、まだ飲みに行くかと尋ねる。おまえほどじゃないと答えてやる。
 四時十分頃、先生到着。急にざわめく。先生の恐縮そうな顔がほころぶ。座席のクジを作ろうとするが、めんどうになって適当な場所にすわってくれとたのむ。みんな思い思いにすわる。女子と男子が分かれる。しまった。俊和君が今回の幹事はイッサだから、何か俺にしゃべれと言う。前の晩、考えていたことを忘れて、わけのわからないことを口ごもる。先生にも一言お願いしますと先生に話を押し付ける。先生が何かしゃべっている。そのうち、「佐藤くん、久し振りだし、自己紹介と近況を一人ずつ話してもらおうじゃないか」と先生が提案する。佐藤くんだなんて、イッサで結構じゃないかと思うが、そんなことは今、どうだっていいことだと考えなおし、その意見に従う。
 まず僕からと俊和君が果敢に発言する。回りの雑談の声が混じり、女子の声はほとんど聞こえず、デコ(野村秀子さん)のとき、僕は失礼も省みず、二、三質問する。「恋愛のご経験は?」「結婚のご予定は?」と尋ねる。
 何故か僕には女子が大きく見える。満二十二歳と言えば、結婚適齢期、近い将来一家の主婦の座に着き、家庭を守らなければならない。そんな責任のようなものをじっくりと受け止めて、何か自信さえうかがえる。
 トッチ(牧村君)が遅れて入ってくる。食事が始められ、ビールが出てくる。ビールは一番の好物。となりの内田君のペースに合わせてグラスを重ねる。少し、静かにせよと、どこからか聞こえる。ひと通り自己紹介らしきものが終わり、内田君や城処君たちから歌がもれる。自分も合わせる。そこへ一人の美人が現われる。ふと誰かなぁと考える。畳に両手をついてほほえんでいる唇が、なあんだ、三ちゃん(三治さん)か、と思い出させる。
 しりとり歌合戦らしきものが男子と女子の間で行われる。それも、いつの間にか終わってしまい、みんな思い思いの所に話に行く。まず僕は先生の所に行って、何故遅れたかと詰問する。しきりに弁解らしきものを重ねてから、先生は、来年は四十名位でクラス会をやろうと言い、女子の方の勧誘は自分が引き受けたから、男の方は君たちにたのむと意気込む。ちょうど前にいた鈴木良子さんにビールをついでもらう。「幸せですか」と尋ねてみる。今年の十月十六日に彼女が結婚するということを知っていたからだ。「後になってから、今が一番幸せだったと思うことがあるかも知れないね」と気どって言う。人はかなえられる直前に最高の充足感を味わうことがあるからだ。
 誰かが、飲めとビールをつぎにきた。錦彦君だ。女の子に挨拶してこいとハッパをかけてやる。そんなやりとりを井野さんが見て笑っている。女子の方に話しに行く。「先生たちとキャンプに行ったんだって。そんなこと一言も聞かなかったわよ」と大高さんに叱責される。彼女は、この夏、寺田先生が南中で過去九年間に自分が受け持った三年のクラス(十三、十六、十九回生)の有志を募って企画した『夕森キャンプ』、これに僕と俊和君と野村秀子さんが、クラス会の一週間ほど前に参加したことに、いささか羨望の眼をもって抗議しているのだ。そのときの写真を見ながら、みんながいろいろ語り合っている。ふとそんなとき、今度は僕らの学年だけで行きたいなと考える。
 そこへ先生が、何か俺のことで不満があるのかと言いにやってくる。僕は、中学生たちとは一緒になってさわぐ先生が、僕たちと一緒にいるときはだまりこくって知らん顔をしている。俺たちゃ、もう子供じゃないんだ。先生という立場から降りて、演技じゃなく一緒にさわぎ、弱みを持った一人の人間として付き合ってほしいと言う。先生はそんなことはとっくの昔に、きみたちとは何も言わなくても分かり合っているんだと言う。甘いな、と思うが何も言わず。
 井野さんが松宮君と何か話している。割り込んでいく。僕の頭は井野さんの母親らしさが離れず、ついその方に話がそれてしまう。今はそんなこと忘れてほしいと叱られる。ふと僕は、家のことも職業のことも忘れて、心おきなく話し合える機会が俺たちには必要なんだと思い始める。そんな意味で、中学時代の郷愁が秘められているこのクラス会は、無意味ではなかったと自信を持つ。
 再びもとの場所にもどると、あちこちで二、三人ずつかたまって話し合っている。何かそれは自分が大きくなってきた証しのようだ。人生、それは単なる時間の経過ではない。何か、そんなことを肌で感ずる。大高さん、久米さん、デコちゃん、乃婦美さん、三ちゃんたちのところへ性懲りもなく、やり込められに行く。酔いのせいか、恋愛について自分の考えをあらいざらい語らされる。こんな話をして何のためになるのか。みんなが面白半分に聞いていたら、自分は全くの道化じゃないか。だがそうだとしても、何も演じられない三文役者よりもましだ。そう思い、多少の演技を加えてしゃべる。
 そろそろ八時だから、都合のある人は帰って下さいと俊和君が言う。最後に一緒に歌でもうたおうと誰かが言う。僕が『月の砂漠』がいいと言う。今、自分の一番好きな歌だ。そんな歌はダメだと言われ、ションボリする。遠くの方で、『幸せだなぁ』を歌おうという意見が出、先生もそれに同調したので、加山雄三の『君といつまでも』を歌って終わる。

 やたら「何か」という言葉が出てきたり、「そんな」とか「そうした」とかで文を繋いでいたりしていて、稚拙な文章だということは疑いのないことだが、中学のクラス会の雰囲気はひしひしと伝わってくる。
 私はこの時期、大学で文芸部を発足させ、機関紙作成に奔走していた。それと隣りの部室の映画研究会の幹部に頼まれて、映画の鑑賞文も書いていたので、このクラス会の記述も一気に書き上げたように記憶している。
 文章の稚拙さは充分に承知しているが、今は懐かしさの方が優っている。

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