愛情を注ぎ続けてくれた養父母がいて、今の自分がいる

 11月27日の毎日新聞の電子版には【<新生児取り違え>60歳男性「生まれた日に時間を戻して」】という見出しの記事が載っていた。概要は次のようだ。
 <60年前に生まれた東京の男性について、東京地方裁判所はDNA鑑定の結果から病院で別の赤ちゃんと取り違えられたと認めたうえで、「経済的に恵まれたはずだったのに貧しい家庭で苦労を重ねた」として病院側に3800万円の支払いを命じる判決を言い渡した。>
 私は、60年後に<新生児取り違え>の事実が明るみに出て、病院側の落ち度は厳しく問われなければならないが、世間の多くの人が思うように、この男性の気持が「生まれた日に時間を戻して」という方向に、ストレートに何の感情もなしに向かっているとは思えない。
 確かに、生みの親に対する情愛が湧いてくるのは自然の成り行きだが、それ以上に育ての親に対する思慕の深さを同時にしみじみと感じているのではないかと私には思えるからだ。
 私も満1歳になるかならないうちに、世間的にみれば余り裕福でない家庭に、仲介者を経て養子に出された身である。
 大学3年生のときに養父は胃癌で入院し、あとを追うように養母も糖尿病と肺炎で入院した。3か月後に養父は亡くなり、麹屋をやっていた養母も体力が戻らず、収入の道を絶たれてしまった。そして、その後の3年間は、昼は鉄工所で働いて、夜は家庭教師をしながら、大学に通ったが、私はそんな生活に希望が持てなくて、とうとう大学を中退してしまった。あとから考えて、そんな苦労をしている学生は多かったことを考えると、自分の意思の弱さを恥じていた。
 退学の書類を提出したあと、哲学科の教授をしていた学生部長に呼ばれて行ってみると、厳しい表情で「卒業までの期間、誰か援助してくれる親戚はいないのか」と問い掛けられたが、私はいないと答えた。
 家に帰る途中、なぜか涙が止まらなかった。自分が養父母のところではなく、もっと裕福な家庭に養子に行ってさえいれば、という思いが次から次に湧いてきて、ただただ悲しかったからだ。
 実母の弟が、岐阜県大垣市の裕福な豪農の家に養子に入っていたので、叔父甥の仲でもあり、その家の養子になっていれば、もっと違った人生が開けたのかも知れないという考えが、私を一層悩ませた。
 だが、一方ではそんな考えに捉われるのは、愛情を注ぎ続けてくれた養父母に申し訳ないとも強く思って、自分を責めた。
 私はきっぱりと割り切ることにした。
 共に生活した長さの分だけが、父母への情を育んでいく。私はそう思うことで、実母への情を断ち切ったのだ。
 そして、2度と自分がもっと裕福な家庭にもらわれていたならばなどとは考えないことにした。
 実母が3度目の高血圧で倒れて、大垣市民病院に運び込まれたとき、無意識に何度も私の名前を口にしていたからと、3度目の夫から夜中に電話が入ったが、私は腰を上げなかった。
 結婚して1年目だった女房が、このまま逢えなくなるかも知れないからと泣きそうな声で言われて、やっと出掛けていったことがある。だが、酸素吸入器の中で眠っている実母を見ても、いかなる情愛も湧かなかった。
 上述のニュースの男性は、<新生児取り違え>が判明してからの3ヵ月間は、涙、涙で暮らしたということだが、そのあとに育ての親の愛情を思い出して、今は意外にすっきりしているのではなかろうか。
 上述の60歳のこれまでの生活ぶりに比べれば、私は恵まれている。だから、私の気持との比較は余り意味がないと言われれば、返す言葉もないが、育ての母親に対する情愛についてはそれほど隔たりがあるとは思われない。
 今は、養父母も、また実父母も亡くなっているとのことなので、これからは実の弟3人と大人の付き合いをしていけばいいのではなかろうか。「生まれた日に時間を戻して」はマスコミの紙面上だけでいい。

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