今日もまた、私は一人よがりの記事を書いている
私がこのブログを立ち上げてから、もう7年と3ヶ月が過ぎようとしている。
立ち上げるきっかけとなったのは、私より先に中学高校時代の友だちがブログを始めていて、私もやってみようと思い立ったからだった。
それと会社をRetireしてから、ハローワークの職業訓練の一環として、名古屋にある外国語学校で3ヵ月間、ビジネス英語を学んだとき、英語漬けで苦労を分かち合って、急激に仲良くなったクラスメートたちに向けて、【元気でやっています】というメッセージのつもりで、私は記事をUPし続けてきた。
のちに中学時代の友だちへのメッセージも加わったが、実は上述のクラスメートや中学時代の友だち以外は、ブログをやっていることを人に知られたくなかった。
加えて、私は余りにも身近な家族や親戚は、場合によっては記事の内容がクレーム対象にもなるので、未だにURLやブログのタイトル名を教えていない。
そのほか、他人に知られたくない理由は幾つかあるが、その最も大きな理由は、自己表出である記事をBIGLOBEウェブリブログにUPした時点で、自らの手を離れた訳だから、その記事を読もうが読もうまいが、すべては読み手の自由に委ねられると考えているからだ。どんな感想を持とうが、それもまた自由だ。
それと、ブログの活用は他人を貶めなければ、やはり自由のはずで、私がとやかく言う筋合いのものでもないことも承知している。これは飽くまでも自分のブログに対するスタンスである。
最近、少し時間が空くと吉村昭氏の『私の文学漂流』というエッセイを読んでいるが、その中に次のようなくだりがある。
吉村氏が、丹羽文雄氏が主宰する同人誌「文学者」の同人となり、初めて自分の短編が評価されて、同誌に掲載される。そのことに胸躍らされた吉村氏は、文芸評論家の臼井吉見氏に認めてもらいたいと熱望し、自宅を訪問したときのことを書いたくだりである。
<(臼井)氏は、
「あなたのような方が、よく訪ねてくるが、受取ると読まなければならない。精神的に負担になるので、申し訳ないが・・・・・・」
私は、頭を深くさげ、玄関の外に出た。
歩き出した私は、激しくよろめいた。ひどく恥ずかしいことをした思いで、顔を赤らめて夜道を駅の方へ足早に歩いた。
作品は、活字にした時にすべてが終わっている。読む人もいるだろうが、大半は読んではくれない。それが作品のもつ宿命である。
活字になっただけで、私の自己表出は十分にかなえられたのに、私は、臼井氏のもとに行き、読んでほしい、と頼んだ。私の胸の中には、氏が私の作品を認め、同人雑誌評で取り上げてくれるだろうという下心があった。
小説を書く者は、ただ書くだけでよく、それ以上のことを考えるべきではない。
臼井氏に雑誌を受取るのを拒まれたことに、私は冷水を浴びせかけられたような恥ずかしさをおぼえると同時に、小説を書く上での教訓を得た思いであった。>
上述の文章の「作品」「小説」を「ブログの記事」、活字を「UPした記事」と置き換えれば、そのまま、私に対する教訓となる。改めて、考えさせられる。
私はアルバイト先を辞めるとき、はじめてワークシェアをしてきた或るメンバーひとりに自分のブログのタイトルを教えて、できたらアクセスしてほしいと告げた。
当然、読むのは自由だが、自らの人生を振り返る手段として、ブログに自分の生きた証しとして、記事をUPするのも選択肢の一つとして、一度考えてみたらどうですか、と示唆したかったからである。
ただ、その場合は他人の目を気にせず、ひたすら気の赴くまま、問わず語りの記事の方が、自己表出には適している、― ここまで言うのは、やはりおせっかいと思われたので、口には出さなかった。
あらら、今日もまた、私は一人よがりの記事を書いている。
立ち上げるきっかけとなったのは、私より先に中学高校時代の友だちがブログを始めていて、私もやってみようと思い立ったからだった。
それと会社をRetireしてから、ハローワークの職業訓練の一環として、名古屋にある外国語学校で3ヵ月間、ビジネス英語を学んだとき、英語漬けで苦労を分かち合って、急激に仲良くなったクラスメートたちに向けて、【元気でやっています】というメッセージのつもりで、私は記事をUPし続けてきた。
のちに中学時代の友だちへのメッセージも加わったが、実は上述のクラスメートや中学時代の友だち以外は、ブログをやっていることを人に知られたくなかった。
加えて、私は余りにも身近な家族や親戚は、場合によっては記事の内容がクレーム対象にもなるので、未だにURLやブログのタイトル名を教えていない。
そのほか、他人に知られたくない理由は幾つかあるが、その最も大きな理由は、自己表出である記事をBIGLOBEウェブリブログにUPした時点で、自らの手を離れた訳だから、その記事を読もうが読もうまいが、すべては読み手の自由に委ねられると考えているからだ。どんな感想を持とうが、それもまた自由だ。
それと、ブログの活用は他人を貶めなければ、やはり自由のはずで、私がとやかく言う筋合いのものでもないことも承知している。これは飽くまでも自分のブログに対するスタンスである。
最近、少し時間が空くと吉村昭氏の『私の文学漂流』というエッセイを読んでいるが、その中に次のようなくだりがある。
吉村氏が、丹羽文雄氏が主宰する同人誌「文学者」の同人となり、初めて自分の短編が評価されて、同誌に掲載される。そのことに胸躍らされた吉村氏は、文芸評論家の臼井吉見氏に認めてもらいたいと熱望し、自宅を訪問したときのことを書いたくだりである。
<(臼井)氏は、
「あなたのような方が、よく訪ねてくるが、受取ると読まなければならない。精神的に負担になるので、申し訳ないが・・・・・・」
私は、頭を深くさげ、玄関の外に出た。
歩き出した私は、激しくよろめいた。ひどく恥ずかしいことをした思いで、顔を赤らめて夜道を駅の方へ足早に歩いた。
作品は、活字にした時にすべてが終わっている。読む人もいるだろうが、大半は読んではくれない。それが作品のもつ宿命である。
活字になっただけで、私の自己表出は十分にかなえられたのに、私は、臼井氏のもとに行き、読んでほしい、と頼んだ。私の胸の中には、氏が私の作品を認め、同人雑誌評で取り上げてくれるだろうという下心があった。
小説を書く者は、ただ書くだけでよく、それ以上のことを考えるべきではない。
臼井氏に雑誌を受取るのを拒まれたことに、私は冷水を浴びせかけられたような恥ずかしさをおぼえると同時に、小説を書く上での教訓を得た思いであった。>
上述の文章の「作品」「小説」を「ブログの記事」、活字を「UPした記事」と置き換えれば、そのまま、私に対する教訓となる。改めて、考えさせられる。
私はアルバイト先を辞めるとき、はじめてワークシェアをしてきた或るメンバーひとりに自分のブログのタイトルを教えて、できたらアクセスしてほしいと告げた。
当然、読むのは自由だが、自らの人生を振り返る手段として、ブログに自分の生きた証しとして、記事をUPするのも選択肢の一つとして、一度考えてみたらどうですか、と示唆したかったからである。
ただ、その場合は他人の目を気にせず、ひたすら気の赴くまま、問わず語りの記事の方が、自己表出には適している、― ここまで言うのは、やはりおせっかいと思われたので、口には出さなかった。
あらら、今日もまた、私は一人よがりの記事を書いている。
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