さびしいからって、だれのせいでもない

 私のPCの横には、いつも或る単行本が置いてある。
 石田千さんの『バスを待って』という短編集である。この単行本には20篇の短編が収められているが、どれを読んでも心が和んだり、やさしい気持になったりする。中でも、私は独身女性の心情をきめ細やかに描写した短編群が好きで、何度も読み返している。
 今日もアルバイト先の事務所に、ワークシェア・メンバーの人たちにお別れの粗品を持って行ったあと、PCの前でぼんやりしていたが、手持無沙汰のまま、私はその短編集の中の『中條さんは、バスに乗る』を見開いて、またまた読み返していた。
 この短編の主人公は中條さんというOLである。
 中條さんは入社以来、6年の月日が経っている。
 勤めはじめた頃の金曜日は合コンをすることが多かったが、それも合コン仲間にひととおりの恋人ができるといつしか誘われることもなくなった。
 その後、総務の女の子の寿退社の送別会の幹事を頼まれて、会はそれなりに盛り上がり無事散会となったが、二次会のカラオケという流れになって、自分は風邪気味なのでと言って二次会を抜けようとした。だが、「お疲れさまでした!」と口で挨拶されるだけで、引きとめられることはなかった。その帰り、中條さんは涙がとまらなかった。
 彼女は心に決めた。連休前の金曜日にはバスに乗って自分の部屋に帰ることにしたのだ。金曜日のバスの様々なお客の描写のあと、彼女はあの日の送別会のことを思い出しながら、思わず湧き上がってくる心情が綴られている場面がある。はじめてその細かな描写を読んだとき、何の前触れもなく私の胸に突き刺さってくるものがあった。
 それは、養父母が同時に入院したときの20代の自分の心情と、自分の気持とは裏腹な会社に入社して、数年間を惰性のように過ごしていた自分の生活ぶりが、まるで時空を超えたかのようにオーバーラップしくるからだ。 その箇所を引用してみる。
 <帰宅時間のバスは、ほどほどに混んでいるから、あの晩のように泣いたりするわけにはいかない。金曜日の夜のお客さんたちは、ネクタイをしていても緊張がほどけているように見える。
 部屋にもどってしまうと家事があって、ひとりとはいえ、あんがいくつろげない。週にいちどのバスのひとときだけは、つくり笑いも気働きもしないで、ただぼんやりしている。ひとり暮らしでは、素の時間をひとといっしょにいられない。みんなが、ぽかんと揺られている。そのやわらかな沈黙は、ほんとうに教会のように安心だった。
 バスは信号のたびにエンジンをきる。
 ・・・・・・この夏は、暑い日がつづきましたものねえ。
 いっそう静かになった車内で、おばあさんがいった。ほんとうにそうでしたねえ。となりのおじいさんがいう。
 わかりあえることなんて、このくらいでいいのかもしれないな。一日にいちど、じぶんが本心でお天気の話をして、答えてくれる相手がいれば、それだけで孤独なんて遠ざけられるものかもしれない。
 買いもの袋をさげたひと、夜遊びにいくひと、みんなうわべの表情を消して、ありのままの顔をしている。電車のなかはいつもきゅうくつで、みんな眉をしかめて目をとじている。会社でいっしょのひとたちだって、それぞれこういう顔の時間があって、集まればみんな自分とまわりをすりあわせている。
 さびしいからって、だれのせいでもない。>
 23歳から25歳に掛けて、私は会社の意に染まない仕事を終え、その足で刈谷市に出て家庭教師をしてから、乗り合いバスに乗って大府市の家に帰ってきていた。道路には街灯もなく、目を凝らして家に入っても真っ暗な部屋が待っているだけで、迎えてくれる人もいない。
 【さびしいからって、だれのせいでもない】― そう思って、自分に言い聞かせる毎日であったが、そのさびしさに押しつぶされて、泣き出しそうになったことも一度や二度ではなかった。しかし、【自分とまわりをすりあわせて】生きるしかなかった。
 嬉し恥ずかし、それもまた私の青春の一コマだった。

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