だからこそ、15年も付き合ってこられたのかも知れない
私は4月11日になると必ず<誕生日メール>を打つ人がいる。今年も打った。
この2年ほどは会うこともなくなったが、私には月に2、3度会って、お酒を飲みに行ったり、四季の花々に合わせて、あちこち日帰りでドライブに行ったりしていた女性の友だちがいた。
その人は私より17歳年下で、初めて会ったとき、私は満50歳を迎えたばかりであった。最初の2年間はメール機能の付いたケイタイを持っていなかった。だが、3年目から毎年<誕生日メール>を打ち続けて、今年で16回目ということになる。
私たちは食の嗜好から、具象画などに対する美的感覚や、後生大事に守ろうとするものが似ていたり、喜怒哀楽に対する感情の発露が、割りとタイムラグがなく一致していたりして、私にとって多くの価値観を共有することが出来る稀有な女友だちであった。
実質的に15年も付き合ってこられたのは、私はずっと2人の相性がいいものだと自分に言い聞かしてきた。
2人でいるとそれぞれのバイオリズムの異なった波が、いつしか同じ波長になっていくような感覚があった。一緒にいると実に心地よい空気で包まれていく気がしていたのだ。
長いときには、朝から15時間も一緒にいたことがあった。だが、一瞬たりとも気づまりだったという記憶はない。普段の自分でいられて、互いに肩肘張らない自分の本性を出しても、まったく気にならなかった。つまり、相性が合うということは、そうした「素の自分」が気兼ねなく出せる関係を言うのかも知れない。
私は小学生のころから、何人もの女の子を好きになったが、私から相手に好きだと告白したことはあっても、これまで相思相愛という感覚を味わった経験がなかった。突き詰めて言えば、私は女性とは相性が云々といえる関係にまでなったことがなかった。
私は名古屋市内の私立大学の英文科に通っていたが、その英文科教室の女性のクラスメートと高校時代の男の同級生が付き合っていて、大学2年生になった春休みに、2人は大学の近くのアパートで同棲を始めた。
男の父親は中小企業の社長で、自動車部品販売会社を経営しており、裕福な家庭で、いつも学校へは三菱のコルト800で通っていた。
私とその男とは「おいお前!」の仲で、私の家庭教師のない日には、時折りだがそのアパートに遊びに行った。
女性の方の家庭が裕福だったかどうかは分からなかったが、日常用品や家財道具は揃っていて、私にはどこから見ても一端の若夫婦の住むアパートのように思えた。
私が行くとクラスメートの女性は甲斐甲斐しく動き回り、彼と私のために手料理を作ってくれる。そして、3人で彼女の手料理を食べるわけだが、私は2人が醸し出すラブラブな雰囲気が羨ましくてならなかった。食事が済むと<早く帰れモード>が充満してくる。私も一日も早く恋人がほしいと願ったものだ。
私は1年浪人して大学に入ったので、彼の方が1年早く卒業していき、それを契機に私はアパートにまったく行かなくなった。クラスメートの女性の方とも私とはゼミが異なっていたので、余り顔を合わせなくなり、そのうちに彼らのことは私の頭から抜けていった。
その後、私はサラリーマンとなり、最初のうちは技術部に配属されたが、管理部に欠員ができたとかで、私はその補充要員となり、外注担当となった。
彼らと会わなくなってから、7年が経っていた。
私は上司の命令で、ある外注先に製品を引き取りに行ったとき、その応対に出てきたのが、同棲相手のクラスメートの女性であった。乳呑児を抱いている。いつの間にか、その外注先の若社長と結婚して、奥さんとなっていたのだ。苗字からして、大学時代の同棲相手の男性ではないことは確かだ。
私から見れば、あれほど相性がいいと思われた2人に何があったのだろうか。
相手の男性の思い遣りや優しさ、金銭面でのゆとり、そんなプラスの面ばかりが私の中で羨望の度合いを増幅させていたのに、こんな成り行きを目の当たりにするなんて、― 。男女の仲は不可解なものだ。世の中、他人から見て、プラスばかりの反応が際立ったとしても、万事が快調に行くとは限らないようだ。
後生大事に抱えてきた経験や価値観、物事をなす場合の優先順序など、自分の基準に照らし合わせて他人という異物との間に化学反応を起こしていく。その反応がどんな状況を引き起こすかは俄かに予想することは難しい。
私たちは【友達以上恋人未満】で16年も付き合ってきたが、その長い付き合いを相性がいいとか悪いとかの視点で語るべき事柄ではないのかも知れない。
所詮は男と女は異物な存在で、その異物同士がぶつかりあって、予測不可能な反応が生じるたびに、2人はまるで恋愛ごっこを楽しんでいるようなものだった。今、考えてみるとそんな気がする。
だからこそ、15年も付き合ってこられたのかも知れない。
この2年ほどは会うこともなくなったが、私には月に2、3度会って、お酒を飲みに行ったり、四季の花々に合わせて、あちこち日帰りでドライブに行ったりしていた女性の友だちがいた。
その人は私より17歳年下で、初めて会ったとき、私は満50歳を迎えたばかりであった。最初の2年間はメール機能の付いたケイタイを持っていなかった。だが、3年目から毎年<誕生日メール>を打ち続けて、今年で16回目ということになる。
私たちは食の嗜好から、具象画などに対する美的感覚や、後生大事に守ろうとするものが似ていたり、喜怒哀楽に対する感情の発露が、割りとタイムラグがなく一致していたりして、私にとって多くの価値観を共有することが出来る稀有な女友だちであった。
実質的に15年も付き合ってこられたのは、私はずっと2人の相性がいいものだと自分に言い聞かしてきた。
2人でいるとそれぞれのバイオリズムの異なった波が、いつしか同じ波長になっていくような感覚があった。一緒にいると実に心地よい空気で包まれていく気がしていたのだ。
長いときには、朝から15時間も一緒にいたことがあった。だが、一瞬たりとも気づまりだったという記憶はない。普段の自分でいられて、互いに肩肘張らない自分の本性を出しても、まったく気にならなかった。つまり、相性が合うということは、そうした「素の自分」が気兼ねなく出せる関係を言うのかも知れない。
私は小学生のころから、何人もの女の子を好きになったが、私から相手に好きだと告白したことはあっても、これまで相思相愛という感覚を味わった経験がなかった。突き詰めて言えば、私は女性とは相性が云々といえる関係にまでなったことがなかった。
私は名古屋市内の私立大学の英文科に通っていたが、その英文科教室の女性のクラスメートと高校時代の男の同級生が付き合っていて、大学2年生になった春休みに、2人は大学の近くのアパートで同棲を始めた。
男の父親は中小企業の社長で、自動車部品販売会社を経営しており、裕福な家庭で、いつも学校へは三菱のコルト800で通っていた。
私とその男とは「おいお前!」の仲で、私の家庭教師のない日には、時折りだがそのアパートに遊びに行った。
女性の方の家庭が裕福だったかどうかは分からなかったが、日常用品や家財道具は揃っていて、私にはどこから見ても一端の若夫婦の住むアパートのように思えた。
私が行くとクラスメートの女性は甲斐甲斐しく動き回り、彼と私のために手料理を作ってくれる。そして、3人で彼女の手料理を食べるわけだが、私は2人が醸し出すラブラブな雰囲気が羨ましくてならなかった。食事が済むと<早く帰れモード>が充満してくる。私も一日も早く恋人がほしいと願ったものだ。
私は1年浪人して大学に入ったので、彼の方が1年早く卒業していき、それを契機に私はアパートにまったく行かなくなった。クラスメートの女性の方とも私とはゼミが異なっていたので、余り顔を合わせなくなり、そのうちに彼らのことは私の頭から抜けていった。
その後、私はサラリーマンとなり、最初のうちは技術部に配属されたが、管理部に欠員ができたとかで、私はその補充要員となり、外注担当となった。
彼らと会わなくなってから、7年が経っていた。
私は上司の命令で、ある外注先に製品を引き取りに行ったとき、その応対に出てきたのが、同棲相手のクラスメートの女性であった。乳呑児を抱いている。いつの間にか、その外注先の若社長と結婚して、奥さんとなっていたのだ。苗字からして、大学時代の同棲相手の男性ではないことは確かだ。
私から見れば、あれほど相性がいいと思われた2人に何があったのだろうか。
相手の男性の思い遣りや優しさ、金銭面でのゆとり、そんなプラスの面ばかりが私の中で羨望の度合いを増幅させていたのに、こんな成り行きを目の当たりにするなんて、― 。男女の仲は不可解なものだ。世の中、他人から見て、プラスばかりの反応が際立ったとしても、万事が快調に行くとは限らないようだ。
後生大事に抱えてきた経験や価値観、物事をなす場合の優先順序など、自分の基準に照らし合わせて他人という異物との間に化学反応を起こしていく。その反応がどんな状況を引き起こすかは俄かに予想することは難しい。
私たちは【友達以上恋人未満】で16年も付き合ってきたが、その長い付き合いを相性がいいとか悪いとかの視点で語るべき事柄ではないのかも知れない。
所詮は男と女は異物な存在で、その異物同士がぶつかりあって、予測不可能な反応が生じるたびに、2人はまるで恋愛ごっこを楽しんでいるようなものだった。今、考えてみるとそんな気がする。
だからこそ、15年も付き合ってこられたのかも知れない。
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