会社の数字には、ヒトの数字とモノの数字がある
今日、池井戸潤氏の『ルーズベルト・ゲーム』を読み終えた。
池井戸潤氏の作品は、『七つの会議』『ロスジェネの逆襲』に続き、3冊目となる。
私自身、38年間もサラリーマンをやってきて、しかもそのうちの28年間を営業担当をやってきた私には、池井戸氏が提供する素材には興味をそそられる。一旦読み出すと止まらなくなり、3冊とも400ページを超える長編なのに3、4日で読了することができる。
表題の『ルーズベルト・ゲーム』は野球を愛したアメリカのルーズヴェルト大統領の「一番おもしろい試合は、8対7だ」という言葉に由来しているとのことだ。
粗筋を述べてみる。
<青島製作所は昭和41年創業の中堅電子部品メーカーで、未上場企業ではあるが売上500億円超、社員1500人、派遣社員200人を抱える中堅企業である。
社員の心がひとつになれるものとして創業者の青島会長が取り組んだのが野球部で、創業以来の歴史ある名門野球部であった。その野球部がライバル会社に主力選手を引き抜かれ、戦績は思うように上がらず、窮地に陥っていく。
折しも製造業は先の見えぬ不況に喘いでいる時代である。
青島製作所にとっても急激な景気の悪化で親会社の生産調整による受注減と資金繰りの悪化など、会社を取巻く環境は非常に厳しくなるばかりである。そして、役員から真っ先にリストラの俎上に上がったのが年間3億円の費用が必要となる野球部の廃部であった。
更にそこへ持ち上がってきたのが、ライバル会社との吸収合併の話であった。
営業で目覚ましい実績を残して、先代の社長から抜擢された細川社長は、資金規模は青島製作所の倍であり、政治力と営業力が抜きん出たライバル会社の吸収合併の提案を受け入れる。細川社長はひとりで思い悩む。だが、ライバル会社の真意が青島製作所の技術力にあることを知り、敢然と相手の提案を拒絶する。
物語は、主力銀行から強要されているリストラ策の実施をどのような形にして、いかに最小限の犠牲で脱出していくかという側面と、いかにして野球部の廃部を回避するかという側面が交互に描かれて、同時並行する形で物語は進行していく。>
池井戸氏の描く物語は、一種の群像劇を思い起こさせる。さまざまなキャラクターが絡み合って、幾つものエピソードが繰り広げられながら、最終章に向かっていくという構成となっている。
そして、野球部は新人監督の元で改革が進められ、熱烈な社員たちの応援に支えられて、関東地区代表の座を勝ち取り、青島製作所は技術力を活かして、業界トップの製品の開発に成功して、窮地を脱していく。
唐突だが、この小説の導入部分も最終部分も野球部の公式試合の場面が描かれている。私の偏頗な邪推かも知れないが、池井戸氏は余り野球に詳しくないように思える。描き方が淡泊だし、人物の心理描写も表面的だからだ。
もっともスポコン小説ではないので、余りに微に入り細にいる描写は全体のストーリー展開からすると必要ないのかも知れない。
この小説の中で、私が気になった箇所があるので、取り上げてみる。創業者の青島会長のところに、現社長の細川がライバル会社からの提案を受諾すべきかどうかを相談に行った場面である。
<「会長、いかがですか」
細川が問うたとき、青島から出てきたのは、「君たちが、こうする以外に方法がないというのであれば、そうなんだろう」、という言葉だった。
細川の判断を許容しているようにも、突き放しているようにもきこえる。
「だが、ひとつだけ言っておく」
青島は言った。「会社の数字には、ヒトの数字とモノの数字がある。仕入単価を抑えるというモノの数字なら減らしてもかまわん。だが、解雇を伴うヒトの数字を減らすのなら、経営者としての“イズム”がいる」
経営者としてのイズム、か。
なんだ、それは。
いまの細川のどこを探しても、そんなものは ― なかった。>
池井戸氏は銀行員時代、まさに青島会長の言った言葉は理想の【経営者としてのイズム】として、心に深く刻んできた言葉だったように私には思えてならない。
それが池井戸氏の描く物語が、たとえ結論ありきの話だとか、勧善懲悪でハッピーエンドの物語だと言われても、その【経営者としてのイズム】の実践をせめて小説の中で結実させ、読者を元気づけたかったのではなかろうか。
何だか、私にはそう思えてならない。
池井戸潤氏の作品は、『七つの会議』『ロスジェネの逆襲』に続き、3冊目となる。
私自身、38年間もサラリーマンをやってきて、しかもそのうちの28年間を営業担当をやってきた私には、池井戸氏が提供する素材には興味をそそられる。一旦読み出すと止まらなくなり、3冊とも400ページを超える長編なのに3、4日で読了することができる。
表題の『ルーズベルト・ゲーム』は野球を愛したアメリカのルーズヴェルト大統領の「一番おもしろい試合は、8対7だ」という言葉に由来しているとのことだ。粗筋を述べてみる。
<青島製作所は昭和41年創業の中堅電子部品メーカーで、未上場企業ではあるが売上500億円超、社員1500人、派遣社員200人を抱える中堅企業である。
社員の心がひとつになれるものとして創業者の青島会長が取り組んだのが野球部で、創業以来の歴史ある名門野球部であった。その野球部がライバル会社に主力選手を引き抜かれ、戦績は思うように上がらず、窮地に陥っていく。
折しも製造業は先の見えぬ不況に喘いでいる時代である。
青島製作所にとっても急激な景気の悪化で親会社の生産調整による受注減と資金繰りの悪化など、会社を取巻く環境は非常に厳しくなるばかりである。そして、役員から真っ先にリストラの俎上に上がったのが年間3億円の費用が必要となる野球部の廃部であった。
更にそこへ持ち上がってきたのが、ライバル会社との吸収合併の話であった。
営業で目覚ましい実績を残して、先代の社長から抜擢された細川社長は、資金規模は青島製作所の倍であり、政治力と営業力が抜きん出たライバル会社の吸収合併の提案を受け入れる。細川社長はひとりで思い悩む。だが、ライバル会社の真意が青島製作所の技術力にあることを知り、敢然と相手の提案を拒絶する。
物語は、主力銀行から強要されているリストラ策の実施をどのような形にして、いかに最小限の犠牲で脱出していくかという側面と、いかにして野球部の廃部を回避するかという側面が交互に描かれて、同時並行する形で物語は進行していく。>
池井戸氏の描く物語は、一種の群像劇を思い起こさせる。さまざまなキャラクターが絡み合って、幾つものエピソードが繰り広げられながら、最終章に向かっていくという構成となっている。
そして、野球部は新人監督の元で改革が進められ、熱烈な社員たちの応援に支えられて、関東地区代表の座を勝ち取り、青島製作所は技術力を活かして、業界トップの製品の開発に成功して、窮地を脱していく。
唐突だが、この小説の導入部分も最終部分も野球部の公式試合の場面が描かれている。私の偏頗な邪推かも知れないが、池井戸氏は余り野球に詳しくないように思える。描き方が淡泊だし、人物の心理描写も表面的だからだ。
もっともスポコン小説ではないので、余りに微に入り細にいる描写は全体のストーリー展開からすると必要ないのかも知れない。
この小説の中で、私が気になった箇所があるので、取り上げてみる。創業者の青島会長のところに、現社長の細川がライバル会社からの提案を受諾すべきかどうかを相談に行った場面である。
<「会長、いかがですか」
細川が問うたとき、青島から出てきたのは、「君たちが、こうする以外に方法がないというのであれば、そうなんだろう」、という言葉だった。
細川の判断を許容しているようにも、突き放しているようにもきこえる。
「だが、ひとつだけ言っておく」
青島は言った。「会社の数字には、ヒトの数字とモノの数字がある。仕入単価を抑えるというモノの数字なら減らしてもかまわん。だが、解雇を伴うヒトの数字を減らすのなら、経営者としての“イズム”がいる」
経営者としてのイズム、か。
なんだ、それは。
いまの細川のどこを探しても、そんなものは ― なかった。>
池井戸氏は銀行員時代、まさに青島会長の言った言葉は理想の【経営者としてのイズム】として、心に深く刻んできた言葉だったように私には思えてならない。
それが池井戸氏の描く物語が、たとえ結論ありきの話だとか、勧善懲悪でハッピーエンドの物語だと言われても、その【経営者としてのイズム】の実践をせめて小説の中で結実させ、読者を元気づけたかったのではなかろうか。
何だか、私にはそう思えてならない。
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