9月3日は何の記念日?
今日の中日新聞のコラム「中日春秋」に次のようなことが載っていた。
<二一一二年の九月三日。その日まで、いよいよ、百年を切った。おなじみのネコ型ロボット、ドラえもんの誕生日だ。二十二世紀から、現代日本にタイムマシンでやって来て活躍するだけに、そのポケットの中には、地震関連グッズも、ちゃんと入っている。とにかく地震が苦手なのび太君は、ちょっとした揺れであわてふためく。(後略)>
何も私はこのコラムの文を引用して、ドラえもんのことや地震に弱いのび太くんの話をするためではない。
私はもうずいぶん前から9月3日がドラえもんの誕生日だということを知っていて、2012年の9月3日という日がドラえもんの誕生日から丁度100年前という区切りの日で、ドラえもんファンには今年の9月3日は記念すべき日に違いないと思っていたところに、たまたま、このコラムに出逢ったので引用したに過ぎない。
私にとっても、9月3日は記念すべき日であった。と言うのは、前に住んでた家から歩いて10分ほどのところにある神社で、私たちは結婚式を挙げたからだ。
当然のことのように周囲の人たちから、9月3日はまだまだ暑いので10月に入ってから式を挙げたらどうかとアドバイスを受けた。ところが当時、神前の結婚式が流行っていて、この神社では9月下旬から11月まで、日柄のいい日はすべて予約済みであった。
私はぜひともこの神社で挙式したかったし、かと言って寒いのは大の苦手ということもあって、さんざん迷った結果、私が一方的に9月3日という日に決めた。
実は9月3日に決めたのにはもう一つ理由があった。
私の家は代々その神社の氏子であり、その神社では正月3ヶ日に参詣客に甘酒を振る舞うのがしきたりで、その甘酒の素になる麹の製造を請け負っていたのが養母だったこともあって、神主が予約のない9月3日に結婚式を挙げてくれれば、これまでの養母の苦労に報いるためにも民間の結婚式場に比べて3分の1ほどの費用でやってくれると申し出てくれたからである。安月給だった私にはこの上なくありがたいことであった。
だが、結婚式当日は空いっぱいに雲が拡がった曇り日で、その分、紋付き袴でも暑さはしのげるほどであったが、いつ降り出すか分からぬ雲行きで、集まってくる近所の子供たちに菓子袋を配り、文金高島田の状態で町内の挨拶回りをしなければならない女房のことが気掛かりで、ハラハラのしっ放しであった。何とか、雨降りは免れた。
ところが、式が終わって、まさに女房の車で新婚旅行に出掛けようとした午後3時ごろ、パラパラと雨が降り出した。仲人さんに「雨降って地固まるって言うだろ。縁起がいいんだよ、この雨は!」と慰められて、私たちは日本列島を縦断して、北陸方面に新婚旅行に出掛けて行った。1975年9月3日のことである。
そして、蛇足となるが、2年後の1977年 、巨人軍の王貞治選手が通算756号ホームランを達成し、メジャー・リーグのハンク・アーロンの記録を抜いて世界最高記録に達した。9月3日つながりで、私はミスター・ジャイアンツと言われた長島選手よりも王選手が未だに好きである。
<二一一二年の九月三日。その日まで、いよいよ、百年を切った。おなじみのネコ型ロボット、ドラえもんの誕生日だ。二十二世紀から、現代日本にタイムマシンでやって来て活躍するだけに、そのポケットの中には、地震関連グッズも、ちゃんと入っている。とにかく地震が苦手なのび太君は、ちょっとした揺れであわてふためく。(後略)>
何も私はこのコラムの文を引用して、ドラえもんのことや地震に弱いのび太くんの話をするためではない。
私はもうずいぶん前から9月3日がドラえもんの誕生日だということを知っていて、2012年の9月3日という日がドラえもんの誕生日から丁度100年前という区切りの日で、ドラえもんファンには今年の9月3日は記念すべき日に違いないと思っていたところに、たまたま、このコラムに出逢ったので引用したに過ぎない。
私にとっても、9月3日は記念すべき日であった。と言うのは、前に住んでた家から歩いて10分ほどのところにある神社で、私たちは結婚式を挙げたからだ。
当然のことのように周囲の人たちから、9月3日はまだまだ暑いので10月に入ってから式を挙げたらどうかとアドバイスを受けた。ところが当時、神前の結婚式が流行っていて、この神社では9月下旬から11月まで、日柄のいい日はすべて予約済みであった。
私はぜひともこの神社で挙式したかったし、かと言って寒いのは大の苦手ということもあって、さんざん迷った結果、私が一方的に9月3日という日に決めた。
実は9月3日に決めたのにはもう一つ理由があった。
私の家は代々その神社の氏子であり、その神社では正月3ヶ日に参詣客に甘酒を振る舞うのがしきたりで、その甘酒の素になる麹の製造を請け負っていたのが養母だったこともあって、神主が予約のない9月3日に結婚式を挙げてくれれば、これまでの養母の苦労に報いるためにも民間の結婚式場に比べて3分の1ほどの費用でやってくれると申し出てくれたからである。安月給だった私にはこの上なくありがたいことであった。
だが、結婚式当日は空いっぱいに雲が拡がった曇り日で、その分、紋付き袴でも暑さはしのげるほどであったが、いつ降り出すか分からぬ雲行きで、集まってくる近所の子供たちに菓子袋を配り、文金高島田の状態で町内の挨拶回りをしなければならない女房のことが気掛かりで、ハラハラのしっ放しであった。何とか、雨降りは免れた。
ところが、式が終わって、まさに女房の車で新婚旅行に出掛けようとした午後3時ごろ、パラパラと雨が降り出した。仲人さんに「雨降って地固まるって言うだろ。縁起がいいんだよ、この雨は!」と慰められて、私たちは日本列島を縦断して、北陸方面に新婚旅行に出掛けて行った。1975年9月3日のことである。
そして、蛇足となるが、2年後の1977年 、巨人軍の王貞治選手が通算756号ホームランを達成し、メジャー・リーグのハンク・アーロンの記録を抜いて世界最高記録に達した。9月3日つながりで、私はミスター・ジャイアンツと言われた長島選手よりも王選手が未だに好きである。
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