それって、文化?いや、ブンガワンソロだ・・・・・・。
今日、落語家の立川談志師匠の『談志絶唱 昭和の歌謡曲』を読み終えた。
私は落語に関する著作を10数冊持っているが、立川談志師匠の書いた本は一冊もない。古今亭志ん朝師匠のテープはあるが、談志師匠のテープはない。
そのことに関しては余り大した理由はない。ただ、私は志ん朝師匠の落語の方が談志師匠よりも数段好きだったからに過ぎない。
「昭和の歌謡曲」という本のタイトルが気になって、2006年に出版されたときに購入して、本棚に置いたままになっていたものを談志師匠が亡くなったときに引っ張り出して、少しずつ何ヶ月も掛けて読み終えたのである。
こんなに時間が掛かったのは、談志師匠の語り口が自分に合わなかったのと師匠と私の8歳の差が意外に大きくて、師匠が熱く語る昭和10年代から20年代の歌謡曲がリアルタイムで聴いていないだけになかなか気持が溶け込んでいかなかったからだ。
だが、第四部消えた「日本の青春」の章からは、取り上げられた歌謡曲が私の青春とともに生きてきた実感があり、自然と読むスピードも速くなった。
談志師匠はこの本のあとがきで、こう書いている。
<歌謡曲とは「文明」であり「文化」である、と書いた。「文化住宅」「文化鍋」「文化放送」「文化勲章」と、どっか似ている。ブンガワンソロだ・・・・・・。
歌謡曲は、いや歌は少なくても、いや芸術ではない。唄うという芸の術ではあっても、現代人のいう「芸術(アカデミック)」ではない。>
談志師匠独特の言い回しなので、なかなか理解しにくい文章だが、その独特の言い回しである【ブンガワンソロだ・・・・・・。】がすべてを語っているように思える。私には、歌謡曲とは知らないとか、分からないとか、そんな理屈を飛び超えて大衆の中に深く沁み込んだ歌だと言っているように思えてならない。
楽しいから、哀しいから、嬉しいから、人はそのときどきに唄うのだ。それには理屈はいらない。師匠はさらに言葉を継ぐ。
<マヒナスターズの『愛して愛して愛しちゃったのよ』、歌詞を読むと“何だ、こりゃ。バカじゃねえのか”と思うはず。
愛しちゃったのよ
愛しちゃったのよ
ねてもさめても ただあなただけ
生きているのが
つらくなるよな 長い夜・・・・・・
“何という戯(たわ)けた文句”というなかれ。恋にはまった者にとっては、この通りなのだ。>
人間社会には理屈では割り切れないものが多く存在している。恋愛はその中の最たるものだ。その切ない気持を癒してくれるものが演歌だろうが、歌謡曲だろうが、私はそれを上から目線で「くだらん!!」と切り捨てることはできない。
サラリーマン時代の上司で、恩人でもある人はクラシックが大好きで、中でもバッハが好きだった。仕事上のことで私との議論が白熱してくると「お互いに冷静になろうや」と言って、コーヒーを飲みながら「G線上のアリア」を聞かされたものだ。
そんなクラシック好きな人だったが、慰安旅行などに行くとホテルのラウンジなどでは、私の演歌やジャズが好きなことを知っていて、一緒にウィスキーを傾けてくれた。
音楽の趣味は<人それぞれで、思い入れも違って当然>だと何の偏見もなく受け入れてくる人であった。それって、文化?いや、ブンガワンソロだ・・・・・・。
私は落語に関する著作を10数冊持っているが、立川談志師匠の書いた本は一冊もない。古今亭志ん朝師匠のテープはあるが、談志師匠のテープはない。そのことに関しては余り大した理由はない。ただ、私は志ん朝師匠の落語の方が談志師匠よりも数段好きだったからに過ぎない。
「昭和の歌謡曲」という本のタイトルが気になって、2006年に出版されたときに購入して、本棚に置いたままになっていたものを談志師匠が亡くなったときに引っ張り出して、少しずつ何ヶ月も掛けて読み終えたのである。
こんなに時間が掛かったのは、談志師匠の語り口が自分に合わなかったのと師匠と私の8歳の差が意外に大きくて、師匠が熱く語る昭和10年代から20年代の歌謡曲がリアルタイムで聴いていないだけになかなか気持が溶け込んでいかなかったからだ。
だが、第四部消えた「日本の青春」の章からは、取り上げられた歌謡曲が私の青春とともに生きてきた実感があり、自然と読むスピードも速くなった。
談志師匠はこの本のあとがきで、こう書いている。
<歌謡曲とは「文明」であり「文化」である、と書いた。「文化住宅」「文化鍋」「文化放送」「文化勲章」と、どっか似ている。ブンガワンソロだ・・・・・・。
歌謡曲は、いや歌は少なくても、いや芸術ではない。唄うという芸の術ではあっても、現代人のいう「芸術(アカデミック)」ではない。>
談志師匠独特の言い回しなので、なかなか理解しにくい文章だが、その独特の言い回しである【ブンガワンソロだ・・・・・・。】がすべてを語っているように思える。私には、歌謡曲とは知らないとか、分からないとか、そんな理屈を飛び超えて大衆の中に深く沁み込んだ歌だと言っているように思えてならない。
楽しいから、哀しいから、嬉しいから、人はそのときどきに唄うのだ。それには理屈はいらない。師匠はさらに言葉を継ぐ。
<マヒナスターズの『愛して愛して愛しちゃったのよ』、歌詞を読むと“何だ、こりゃ。バカじゃねえのか”と思うはず。
愛しちゃったのよ
愛しちゃったのよ
ねてもさめても ただあなただけ
生きているのが
つらくなるよな 長い夜・・・・・・
“何という戯(たわ)けた文句”というなかれ。恋にはまった者にとっては、この通りなのだ。>
人間社会には理屈では割り切れないものが多く存在している。恋愛はその中の最たるものだ。その切ない気持を癒してくれるものが演歌だろうが、歌謡曲だろうが、私はそれを上から目線で「くだらん!!」と切り捨てることはできない。
サラリーマン時代の上司で、恩人でもある人はクラシックが大好きで、中でもバッハが好きだった。仕事上のことで私との議論が白熱してくると「お互いに冷静になろうや」と言って、コーヒーを飲みながら「G線上のアリア」を聞かされたものだ。
そんなクラシック好きな人だったが、慰安旅行などに行くとホテルのラウンジなどでは、私の演歌やジャズが好きなことを知っていて、一緒にウィスキーを傾けてくれた。
音楽の趣味は<人それぞれで、思い入れも違って当然>だと何の偏見もなく受け入れてくる人であった。それって、文化?いや、ブンガワンソロだ・・・・・・。
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