上手く<地ビール>ブームに乗った振りをして
昨日、このブログで飲み会の話を書いたが、そのせいなのであろうか、15年以上付き合ってきた女ともだちが、長い間の沈黙を破って、昨夜の夢の中に出てきた。
私たちが知り合ったのは、1993年に細川政権が成立した夏のことで、偶々あるスナックで隣同士となって、一緒に酒を飲んだのがきっかけであった。彼女はビールを飲んでいた。
確か、1994年の春だったと思うが、細川政権の規制緩和の目玉として、ビールを醸造するための免許取得に必要な年間最低製造量が2000キロリットルから60キロリットルまで引き下げられた。それは大瓶に換算して約316万本から9万5000本へという大幅な引き下げを意味していた。
これによって小規模ビール醸造が可能となり、全国各地で雨後の竹の子のように誕生したのが、いわゆる「地ビール」であった。
1993年の11月、私たちの最初のデート先は愛知県奥三河の香嵐渓であったが、しばらくして愛知県の各地でも「地ビール」ブームが湧きあがり、私たちもそのブームに煽られて、ビール好きの彼女を喜ばせるために真っ先に行ったのが、日本のデンマークと言われていた安城市の「デンパーク」であった。そして、そのビール園で地元の会社で作られた「地ビール」をふたりで納得するまで飲んだ。
この人はいったいどんな性格の人だろうか、何を考えているのだろうか、食べ物はいったい何が好きで、何が嫌いなのであろうか。そんなことを考えながら飲んでいたら、ビール園の閉店時間の午後9時になっていた。
外に出てみると外気は意外に寒くて、自分のスーツの上着を彼女に掛けてあげた記憶がある。彼女が強く拒まなかったので、ひょとすると自分に好意を持っているのかなと私は勝手に思い込もうとしていた。
思えば、あの時から18年の歳月が流れている。
次にふたりで「地ビール」を飲みに行ったのは、三重県桑名市の「なばなの里」の中にある「長島地ビール園」で、ヨーロッパの地ビールである「ピルスナー」、「デュンケル」、「ヴァイツェン」の3種類があり、私はドイツ語は苦手で、自分が発音しやすい「ピルスナー」という地ビールを頼んだことを覚えている。
私の記憶では「なばなの里」が開園間もない頃で、すごい混み様だったために「長島地ビール園」の入り口で1時間近く立ちっ放しで、席が空くのを待っていたような気がする。
デートをしていても何を話したらいいか、どんな態度を取ったらいいかが分からないという人をしばしば耳にすることがある。
私は相手の女性に対して興味があり、ほんの少しでも好奇心が芽生えれば、どんな些細な話題でも食いついていき、滔々と話を続けることができる。私が女好きと言われる理由のひとつである。
だが、私の意に反して、どんな些細な話でも彼女は付き合ってくれる。相性がいいのかも、・・・、急に私はそんな気持になっていた。従って、私たちにとって、1時間という待ち時間は長くはなかった。
次に私たちが行ったのは、知多半島の「ビアシティ南知多」というレストランであった。
そこには知多マリンビールという「地ビール」があり、出来立てを売り物にしているだけあって、大手ビールメーカーのビールに比べて舌触りがよく、実にまろやかで美味しかった。
私がそう思っただけでなく、彼女もここの地ビールが好きだったとみえて、1時間半ほどのランチの間で、中ジョッキのお替りを2、3度していたのを思い出す。
私の住んでる大府市は、女子高生が履くロングソックスのような形をした知多半島付け根のところに位置していて、南知多へは知多半島有料道路を利用すれば、40分ほどで到着することができる。このロケーションのよさもあって、ふたりが付き合い出してランチ場所に困るとすぐに南知多に出掛けて行ったものだ。
今、私が尿酸を抑えるために薬を服用していることもあって、もはやこの先、「地ビール」を飲む機会もないに違いないが、体にガタがきてしまった今でも、あの頃にふたりで飲んだ「地ビール」の味は忘れることができない。
そう言えば、先月の中旬、「たまにはランチしたいですね」とメールが来ていたことを思い出した。
だが、未だに返信メールを贈っていない。
私たちが知り合ったのは、1993年に細川政権が成立した夏のことで、偶々あるスナックで隣同士となって、一緒に酒を飲んだのがきっかけであった。彼女はビールを飲んでいた。
確か、1994年の春だったと思うが、細川政権の規制緩和の目玉として、ビールを醸造するための免許取得に必要な年間最低製造量が2000キロリットルから60キロリットルまで引き下げられた。それは大瓶に換算して約316万本から9万5000本へという大幅な引き下げを意味していた。
これによって小規模ビール醸造が可能となり、全国各地で雨後の竹の子のように誕生したのが、いわゆる「地ビール」であった。
1993年の11月、私たちの最初のデート先は愛知県奥三河の香嵐渓であったが、しばらくして愛知県の各地でも「地ビール」ブームが湧きあがり、私たちもそのブームに煽られて、ビール好きの彼女を喜ばせるために真っ先に行ったのが、日本のデンマークと言われていた安城市の「デンパーク」であった。そして、そのビール園で地元の会社で作られた「地ビール」をふたりで納得するまで飲んだ。
この人はいったいどんな性格の人だろうか、何を考えているのだろうか、食べ物はいったい何が好きで、何が嫌いなのであろうか。そんなことを考えながら飲んでいたら、ビール園の閉店時間の午後9時になっていた。
外に出てみると外気は意外に寒くて、自分のスーツの上着を彼女に掛けてあげた記憶がある。彼女が強く拒まなかったので、ひょとすると自分に好意を持っているのかなと私は勝手に思い込もうとしていた。
思えば、あの時から18年の歳月が流れている。
次にふたりで「地ビール」を飲みに行ったのは、三重県桑名市の「なばなの里」の中にある「長島地ビール園」で、ヨーロッパの地ビールである「ピルスナー」、「デュンケル」、「ヴァイツェン」の3種類があり、私はドイツ語は苦手で、自分が発音しやすい「ピルスナー」という地ビールを頼んだことを覚えている。私の記憶では「なばなの里」が開園間もない頃で、すごい混み様だったために「長島地ビール園」の入り口で1時間近く立ちっ放しで、席が空くのを待っていたような気がする。
デートをしていても何を話したらいいか、どんな態度を取ったらいいかが分からないという人をしばしば耳にすることがある。
私は相手の女性に対して興味があり、ほんの少しでも好奇心が芽生えれば、どんな些細な話題でも食いついていき、滔々と話を続けることができる。私が女好きと言われる理由のひとつである。
だが、私の意に反して、どんな些細な話でも彼女は付き合ってくれる。相性がいいのかも、・・・、急に私はそんな気持になっていた。従って、私たちにとって、1時間という待ち時間は長くはなかった。
次に私たちが行ったのは、知多半島の「ビアシティ南知多」というレストランであった。
そこには知多マリンビールという「地ビール」があり、出来立てを売り物にしているだけあって、大手ビールメーカーのビールに比べて舌触りがよく、実にまろやかで美味しかった。
私がそう思っただけでなく、彼女もここの地ビールが好きだったとみえて、1時間半ほどのランチの間で、中ジョッキのお替りを2、3度していたのを思い出す。
私の住んでる大府市は、女子高生が履くロングソックスのような形をした知多半島付け根のところに位置していて、南知多へは知多半島有料道路を利用すれば、40分ほどで到着することができる。このロケーションのよさもあって、ふたりが付き合い出してランチ場所に困るとすぐに南知多に出掛けて行ったものだ。
今、私が尿酸を抑えるために薬を服用していることもあって、もはやこの先、「地ビール」を飲む機会もないに違いないが、体にガタがきてしまった今でも、あの頃にふたりで飲んだ「地ビール」の味は忘れることができない。
そう言えば、先月の中旬、「たまにはランチしたいですね」とメールが来ていたことを思い出した。
だが、未だに返信メールを贈っていない。
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