「だいじょうぶ。おまえなら、きっとだいじょうぶ」

 今日、乙武洋匡さんの小説『だいじょうぶ3組』を読んだ。画像
 9月の始め、この本が近くの本屋さんに平置きされていたのを見たとき、私は気にもせず、スルーをしてしまった。たぶん、お涙頂だい的な話が満載されているのだろうと勝手に思い込んでしまったからだ。
 ところが最近、若い女子大生たちの会話の中に、やたら「やさしさ」という言葉が飛び出してきて、ほんとの「やさしさ」とは根本的な人間の感情の発露であって、自分中心の恣意的な思惑だけで「やさしさ」という言葉を乱発してほしくないと思っていた。
 特に私と下の孫との電話の会話の中に、「やさしい」という言葉が出てきたときには、吃驚したというより、ショックに近かった。5歳のうちから、そんなに安易に「やさしさ」という言葉を下の孫娘の頭に擦り込んでしまって、果たしていいものであろうかと思ってしまったのだ。
 そんなとき、再び本屋さんで、乙武洋匡さんの『だいじょうぶ3組』を見て、この小説の中に幾つかの「やさしさ」に関するヒントがあるのではないか、そんな気がしてきて、私はまたまた衝動的に買ってしまった。
 そして、読み進めるうちに不覚にも私は何度もウルルときてしまった。
 孫のために、じーじが語ってやれる「やさしさ」のヒントが散りばめられているように思えたからだ。
 乙武さんは今年3月までの3年間、東京都杉並区の小学校で先生をしていて、実際に担任したのは3、4年生なのだそうである。
 だが、この小説の学校は東京都にある人口6万人ほどの架空の小さな市にあり、全校生徒500人ほどの小学校で、少子化の現代ではマンモス学校の部類に入るのかも知れない。
 担任を受け持ったのは5年生の子どもたちであり、いつも赤尾先生に付き添ってくれる介助員は小学校からの親友で、登校下校の付き添いはもとより、板書などの手助けもしてくれる。それに加えて、校長、副校長、学年主任、同僚の教師たちとの話し合いや交流の場にも常にその親友は赤尾先生に付き添っている。これは、そうした環境の中で起きる1年間の出来事や生徒たちと同僚との交流を描いた小説なのである。
 言うもまでもないが、主人公は乙武さんの分身とも言える車いすの赤尾慎之介で、彼は全校集会の席で「僕にはできないことがたくさんある、だから手伝ってほしい」と生徒たちに宣言する。
 そして、さらに赤尾先生は担任となった5年3組の生徒に向かって話し掛ける。
 手足の短い自分には、いくらがんばってもできないことがあるが、そこは自分だけの個性だと割り切って、そのときには人の助けを必要とするし、そのできないことを支えるのは信頼する周りの人間だ。人はそうしてそれぞれの個性や強さや弱さを認め合いながら、助け合って生きていく。それがクラスであり、家庭であり、社会なのだ。
 そして、赤尾先生はそうした考えのもう一方で、やればできることも体現してみせる。
 子供たちに負けじと一緒にサッカーに混じり、本気になって戦ったりもするし、水を怖がり、水泳のできない子どもには死ぬほど怖いプールに飛び込み、短い手足をばたつかせて、5メートルを泳いでみせたりもする。
 赤尾先生はいつでも真剣、体当たりで子どもたちの心の中に溶け込もうとする。そして、土壇場の子どもたちに向かって、呪文のように口癖の言葉で励ます。「だいじょうぶ。おまえなら、きっとだいじょうぶ」だと。
 本当の「やさしさ」はやはり、自分が相手のために何ができるかを絶えず考えて、常に心の準備をしておくことなのかも知れない。この小説を読んで、改めて、そんな気がしてきた。

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