自分の着地点がどのあたりかをさぐりつつ生きている

 このところ、読書の秋とはよく言ったもので、空いた時間が少しでもあれば、重松清氏の『いとしのヒナゴン』という長編小説を読んでいる。
 この小説は始めから「おじさんたちが夢見ている童話」の一つだと割り切って読めば、ワクワクするようなストーリー展開で実に面白い。
 ただ、今日のブログはこの小説の読後感を書くつもりはない。
 だが、謎の類人猿ヒナゴンの取材に東京から過疎の田舎町にやって来た若い週刊誌の記者が、地元の同じ年頃の女性に向かって語りかける言葉が気に掛かってしまい、なかなか私の頭から抜け切らないので、このブログにその言葉を掲載しておきたくなった。その台詞の言葉とは次のようである。
 “「学生時代は『やりたいこと』ばっかりなんです。カッコよく言ったら無限の可能性があるっていうか、夢なんですよ、夢を追いかけていけばそれでいいんです。でも、だんだんわかってくるでしょ、現実とか、自分の才能とか。そうしたら、発想が変わってくるんです。【東京で】『やりたいこと』じゃなくて、『やり残したこと』ってなんだろう・・・・・・って。それが残ってるうちはあきらめずにがんばりたいし、逆に、『やり残したこと』がなくなったら、たとえ夢がかなわくても、もうこれで悔いはないかな、って」”
 この台詞の【東京で】を【人生で】と置き換えれば、私の最近の心境にピッタリと言っていい。
 私は22歳のときに養父が胃癌となり、その医療費と養母との生活費を稼ぐために大学を中退し、サラリーマンとなった。
 それでも私は大学時代に持っていた『やりたいこと』が頭から離れず、頑張って生きていけば、いつか人間には無限の可能性があって、その『やりたいこと』が実現できるのではないか、長い間、ほんとに長い間、私はそんな気持を捨てきることができなかった。
 人並みに結婚し、やがて子どもが二人できても、私はその『やりたいこと』を完全に捨て去ることができずに、普通のおじさんになるのを拒んできた。
 そして、その『やりたいこと』を追いかけ続けても、自分が歳を取りすぎて、とても自分に与えられた時間では到達できない夢だったことを気づかせてくれたのは、他ならぬ名古屋にある外国語学校でビジネス英語を学んだときだった。
 人生で自分の『やりたいこと』の実現を夢見て、必死になってさまざまな努力をしている多くの若いクラスメートと接しているうちに、私は自分にもう時間がなくなっていることに気付かされたのだ。
 私は発想の変換をした。
 これからは、『やりたいこと』じゃなくて、自分に残された時間を使って『やり残したこと』を一つ一つ潰していこうと思ったのだ。やはり、これまで読み残した日本の小説を読んだり、さらに英語を勉強して英米文学を読みたいし、未だに行ったことのない土地にも旅してみたいし、海外旅行にも行きたい。最近、とみにそんな気持を強く持つようになった。言葉を変えれば、毎日自分の着地点がどのあたりなのかをさぐりつつ生きていると言っていい。
 そうした『やり残したこと』を実行するために、さして意味があるとは思えない喫煙を止め、嗜好面で余り好きでもないお酒を飲むのも止めたのも悔いを残したくないからだ。
 昨日、クラスメートの結婚報告会があったが、集まった10人のクラスメートの多くはまだまだ歳も若く、さらなるキャリアアップを目指して、未だに自分の『やりたいこと』を毎日模索している。
 私にはとてもまぶしかった。やはり、歳かな。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

ガッツ(がんばれ!)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック