「欠席します」欄に○印を付けて、返信しようと私は思っていた

 突然、玄関の方向から女房の声が聞こえてきた。
 「今から外出するから、ついでに出席に○を付けて出しておくから」 私には女房の言うことが何のことやら、さっぱり分らず、どう返事をいいのか要領がつかめない。
 「お父さん宛にね、今日、高校時代の同窓会の案内が来てたの。だから、出席するって返信用の葉書を出しておこうかと思って。日時と場所はあとでゆっくり見ればいいでしょ!」
 「おいおい。その葉書、オレ読んでないよ。出席するかどうかはオレのことなんだから、オレに決めさせてくれよ」 私は少々苛立ちながら、出掛けようとしている女房に向かって慌てて声を掛ける。
 「じゃあ、この葉書、下駄箱の上に置いてくから、読んどいてね。どうせ、お父さんのことだから、行くって言うんでしょうけど」 たとえ、私個人に関する事であっても、最近の二人の力関係で、大方の事は女房の言う方向で決まってはいたが、同窓会の出欠席の意思表示は女房の意向をそのまま受け入れる訳にはいかない。
 女房が外出したあと、下駄箱の上に置いてあった同窓会開催通知の葉書を取りに行く。
 葉書には、「○○高校15回生の皆様へ」とあり、表題として「学年同窓会の開催について」とある。
 私の住所が旧町名で書かれてある。確か、新町名になったのは昭和57年の筈だから、もう30年近くも前である。だが、葉書は迷わず私の家に到達した。まるでタイムトンネルをくぐり抜けてきたようだ。そう思うと何故かいとおしく思えてくる。
 実は私は15年ほどの長い間、中学時代や高校時代の仲間の間では行方不明という噂が流れていたようだ。
 私もその間、中学や高校の同窓会の案内を送られてきていたをまったく知らなかったし、出欠席確認のために何度も家に電話を掛けたと久し振りに出席した中学のクラス会のときに幹事から嫌味たらたらで聞かされたが、私は何も聞かされていなかった。
 私が22歳のとき、養父が胃癌に罹り、蓄えもなく収入の源を断ち切られて、私はやむを得ず生活のために大学を中退したが、同時に過去との関わりを断ち切ろうとしていた時期が確かにあった。自分の人生に明るさを見出すことができずに、昔の仲間たちに会いたくなかったのだ。
 その時の私の姿を見て、養母がそうした案内状が来たり、中学や高校時代の友だちから電話が入っても、わざと私の耳に入れず、息子の心情を思い遣って頑なにそうした仲間たちに誘いを断り続けていたのであろう。
 養母にとって、そうすることが唯一息子のためになることで、日頃落ち込んでいる息子を守る道だと信じて疑わない人だった。
 私にはそうした養母の継続した息子思いの気持が、ストレートなだけに重荷に感ずる時期が相当長くあったことは否定しないが、ひょっとすると私のわがままで、養母の少し筋道の逸れた愛情に面と向かって対峙できず、無視し続け、逃避し続けていたことが養母の悩みを増幅させたことは間違いない。
 同窓会やクラス会の案内が私に届かなかったのは、すべて割り切りの下手な自分の性格のせいで、決して養母のせいではない。
 私たち15回卒業生は6クラスで、総勢300人を超える。果たして、何人の同窓生が集まるのであろうか。発信人の欄に学年理事と書かれた主催者の名前が乗っているが私の記憶の中に残っていない。同窓会名簿で調べてみると、私の隣りのクラスの3年1組のようだが、やはり思い出せない。
 ついでと言っては語弊があるが、しばらく同窓会名簿で、15回卒業生の名前をなぞっていたが、中学時代からの同級生と本当に仲のよかった数人は面影が浮かんでくるが、重松清氏が描く小説のような鮮烈な思い出は殆んど思い浮かんでこない。卒業してからの50年は、どんなに記憶力のいい者にとっても、気が遠くなるほどの長い時間だ。
 何の感傷も湧いてこない。やはり熟慮の結果、「欠席します」欄に○印を付けて、返信しようと私は思っていた。

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