あの日、あの場所には17万観衆のオグリコールのどよめきがあった

 今日の中日新聞の朝刊コラムに次のような文章が載っていた。
 <一九八〇年代後半、ハイセイコー以来の競馬ブームを全国に巻き起こしたオグリキャップがこの世を去った。岐阜の笠松競馬でデビューして十二戦十勝。中央競馬移籍後はエリート競走馬たちを連破、「怪物」と呼ばれた。
 引退レースとなった九〇年十二月の有馬記念で奇跡の優勝を遂げるドラマを生み、一年で百万個以上のぬいぐるみが売れる人気者だった。骨折による安楽死は悲しいがファンに愛された二十五年だった。>
 このコラムの作者は7月2日に亡くなったオグリキャップのことが語りたくて、この文章を書いた訳ではなく、導入部、つまり落語でいう「マクラ」としてオグリキャップの「怪物伝説」を取り上げている。
 だが私にはオグリキャップの急死の方がニュース・バリューとしてはずっと大きく、彼の事故による悲報を聞いて、たちまちのうちに私は1988年から1990年に掛けて未だに自分の記憶に残る競馬に関する出来事を思い出していた。
 確かに大井の怪物と言われたハイセイコーの時代は、正直言って結婚して間もない頃で競馬をするほどの金銭的な余裕はなく、ただテレビ観戦で異常な競馬の熱気を感じていただけだった。ブームとは怖いもので、ハイセイコーが高松宮杯で中京競馬場に来たときには正面スタンドにファンが群がり、足元も見えないほどに混雑していた。
 ハイセイコーのブームが去り、同じ地方競馬出身のオグリキャップが突如話題になっていたときは、私はさほど気にもせず、その実力にも疑問符を抱いていた。
 ところが1988年の有馬記念に1回目の優勝を果たしたとき、戦ったメンバーを見て、これはただ者ではないと思い、改めてハイセイコー以上の怪物だと思った。
 そのとき、私はもうすでに管理職となっていて、裁量権を持った営業担当を任されていた。当時、競馬好きの客先の担当者がいて、その人に付き合えと言われれば、仕事ほしさに年に何度か京都競馬場や阪神競馬場にまで出掛けていったもので、門前の小僧習わぬ経を読むの例えに似て、私はいつしか競馬に関しては一言もニ言も持つまでになっていた。
 1989年のオグリキャップの休養明け後の出走スケジュールを聞いて、私は吃驚した。
 オールカマー、毎日王冠、天皇賞・秋、マイルCS、そして連闘でジャパンCの予定だと言う。当時、私は競馬に関する本を読み漁っていたが、少なくても当時、こんな使い方をしたサラブレッドの例を私は知らなかったし、その後もこんな強行スケジュールをこなしたサラブレッドを私は知らない。
 オグリキャップは全てのレースを力の限り走り抜け、どのレースの走破タイムは優秀なもので、しかも勝っても負けても接戦であった。特にジャパンカップは2着に敗れたものの2分2秒2というタイムはホーリックスとともに当時の世界レコードであった。
 しかし、悲しいかな、私はそのジャパンカップをリアルタイムで見ていない。香港にいたからだ。競馬の盛んな香港の英字新聞にもローカルな馬がエリート・サラブレッドを破ったと大きく取り上げられていたような気がする。
 ハードスケジュールはやはり翌年反動がきた。出走すれば、あれほど接戦を演じてきたオグリキャップが簡単に敗れるようになったのだ。陣営は次々に乗り役を替えていったが、結果はついてこなかった。
 陣営はラストランを有馬記念と定めて、武豊騎手に騎乗依頼をした。武豊騎手は1988年の安田記念に一度騎乗していて、1分32秒4で優勝している。
 陣営は武豊騎手によるオグリキャップの復活を夢見たのである。
 追い切りに騎乗した武豊騎手は、安田記念当時には闘志むき出しだったオグリキャップが、いつの間にか、おとなしい普通のサラブレッドとなっていたことに愕然とする。というのは、騎手のゴーサインでスムーズに手前を変えていたオグリキャップがいくら見せムチを振りかざして、ゴーサインを贈っても反応しなくなっていたのである。
 武豊騎手は冷酷になり付きっ切りで、オグリキャップが昔を呼び覚ますように工夫を凝らしながら追い切りを繰り返す。やっと武豊騎手が手応えを感じたのは有馬記念競争の直前であった。(このあたりのことは、このブログの中で『久し振りの競馬場』というタイトルで書き込んだことがある。)
 やがて、ラストランである有馬記念競争のゲートが開いた。結果、優勝したのはオグリキャップだった。
 母方の5代前に優秀な牝馬がいるとは言え、忘れ去られた血統から突然変異のように出現したオグリキャップ、言わば、それは家柄もなく学歴もない普通のサラブレッドが並みいるエリートサラブレッドをねじ伏せた瞬間でもあった。
 つまり、それは一般サラリーマンの見果てぬ夢の実現であり、まるで庶民の届かぬ夢の実現を叶えさせてくれるような優勝でもあった。そして一度はどん底に落ち込んだ者でも頑張れば、また復活できることを教えてくれたようなレースであった。人々はそこに願いを込めた自分の姿を見ていたのだ。
 当日中山競馬場に集結した17万観衆のオグリコールがそれを物語っていた。
 安らかに眠れ、オグリキャップよ。

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