孫娘たちによって、ピアノもやっとその役目を果たす

 今朝早く、今週の17日の土曜日と18日の日曜日に孫娘2人だけで我が家に泊まりにくると娘から電話があったと女房が私に告げにきた。
 女房に表だっては言えないが、これはえらいことになったと思った。ことさら孫娘2人だけを強調してきたということは、女房1人ではとても面倒がみれないので、その日は必ず家にいて頂だいと婉曲的にではあるが私にプレッシャーを掛けてきたと思えたからだ。
 どうも泊まりにくることになったのは、13日の日に孫娘2人のために土岐プレミアム・アウトレットで買ってきたおもちゃの家が引き金になっているようだ。私の勘ぐりかも知れないが、もう一つの理由は孫娘2人とも私の家にあるグランドピアノを弾きたくなったのではないだろうかと思っている。
 と言うのは、小学2年になった上の孫娘も幼稚園年長組の下の孫娘も、私は正式な題名を知らないが、最近では「結んで開いて」とか「どんぐりコロコロ」とかの童謡をピアノで弾けるようになって、2人が我が家にやって来ると1時間以上はピアノから離れようとしない。
 その姿を見ていると私は娘の小学生の頃を思い出す。女房は娘が生まれた年から、私に内緒でピアノ積み立てなるものを始めて、娘が小学生に上がると同時にアップライトのピアノを購入した。
 その購入額を聞いて私は腰を抜かしそうになった。
 当時の私の年収に近かったからだ。結婚したとき、女房は看護師をやっていて、もちろん私よりも年収も多くて、当時としては私が口を挟む余地があろうはずもなく、さらに娘のためにピアノを買ってやるのが自分の夢だったと聞かされたとき、私は何も言えなくなってしまった。
 そして、女房は娘が小学4年生になったときに家の近くのピアノ教師のところにピアノを習いに行かせた。悲しいかな、娘の音楽嗜好に合わなかったのか、娘は1年も経たず、ピアノの学習を放棄してしまった。娘に掛けた女房の夢は潰えた瞬間だった。
 するとピアノは無用の長物と化してしまった。
 娘が女房の意向を汲んで、その後もずっとピアノに執着を持ち続けてくれていれば、家にピアノがあることなど、どうってことはなかった。そうすれば、当時の私の年収以上の値段だったこともそれなりの意味があったろうし、我が家のステータスシンボルとしての意味も大いにあった。
 ところが肝心の娘が弾かなければ、邪魔な単なる置物に過ぎなくなってしまった。しかもピアノは実用の道具ではない。電化製品や冷蔵庫、クルマやエアコンなどは値段や場所は取ってもそれなりの実用価値はあるが、ピアノだけは弾くものがいなければ、何の役にも立たない。
 戦後の音楽教育で、ピアノは徐々に重要な位置を占めるようになり、英才教育とかが流行りだした。女房もそうした風潮に染まってしまったのであろうが、私自体はピアノが弾けることがふつうの人間の人生にとって、それほど重要だとは思っていなかった。
 楽器だけを捉えても、各人好き嫌いはあるだろうし音色の嗜好もあるだろうから、個人の領域で自由に選べばいい、少なくても私はそういう考えであった。
 孫娘2人がピアノを弾くのが好きであれば、運送費は私が払うから引き取れと娘に言うと部屋が狭くなるといい返事をしない。今の私の願いは孫娘たちが、ますますピアノを弾くのが好きになって、一刻も早くピアノを娘のところに送り込むことだ。
 そうすれば、30年間、リビングに眠っていたピアノもやっとその役目を果たすことになる。私の気掛かりも一つ解消できて、肩の荷も少しは軽くなる。夢に終わらなければいいが、・・・。

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