人迷惑な行為は、いつの時代でも変わらず迷惑なものだ

 今週、アルバイト先での仕事は午後からが多かった。朝、ゆっくりできるのがいい。
 私は仕事先に出勤するのにJR大府駅の東口から西口に掛っている跨線橋を利用する。その方が近道だからだ。
 改札口は東口の方にしかなくて、西口から跨線橋を利用する人はJR東海道線の電車の発車時間が気になるのか、多くの人が早歩きでこちらに向かってくる。自分が歳を取ったせいか、もう充分に道理を弁えていると思われる年代の人が咥え煙草で向こうからやって来たりすると、気にしないでおこうと思いながら、つい「何を考えているんだ、この人は!」と腹立たしく思うことがある。
 先だっても、50代の紳士然とした人が、これからパーティーでも出席するかのような正装で、咥え煙草のまま小走りでこちらに向かってきた。よせばいいのに、辛抱しきれずに「咥え煙草は危ないですよ」と私はその紳士に声を掛けてしまった。
 言ったあとに何か文句を言われるかなとビクビクしていると、予想を覆すかのようにその紳士然とした男性は「ごめん、ごめん」と言って、跨線橋の上に火の付いた煙草を捨てて足で踏み潰した。図に乗った私は「大府市にはポイ捨て禁止条例というのがあって、運が悪いと罰金を取られますよ」と一言付け加えてしまった。
 さすがにその男性はむっとした表情になり、私に向かって何か言おうとしたが、私はその男性と目を合わせるのを避けて、すかさず踏み潰された煙草の吸い殻を拾った。本音を言うとちょっぴり怖かったが、その男性は「これからは常時、携帯灰皿を持つようにした方がいいな」と一言呟いて立ち去っていった。
 煙草の包装紙に「健康のために吸い過ぎはやめましょう」という文字が印刷されるようになったのは、いつごろからであろうか。紳士然とした男性の行動からみても、ゆくゆくはその横に「煙草の吸い殻はポイ捨て禁止です」と印刷しなければいけないのかも知れない。
 私一人だけかも知れないが、こんな常識的なことを包装紙に書かなければならないほどに、世の中に幼児化してしまった人がやたら多くなったように思えてならない。
 JRの職員が通勤通学の時間帯に「駆け込み乗車は危険です。絶対にしないでください」というのも、幼児化した大人たちに向けた一種の警告なのであろうし、私は実際に立ち会った訳ではないが、東京のあるスクランブル交叉点では、歩行者信号が点滅し始めると同時に「これからの横断は危険です。つぎを待ってゆっくり渡りましょう」というアナウンスが流れるそうである。これもまた、幼児化した大人に向かっての警告なのであろう。
 文化的に成熟した社会が、徐々に幼児化に傾いていった発端は、いったい、いつ頃からなのであろうか。
 日常の家庭の中に、これまでには予想も付かなかった便利な機械が入り込んできた頃からなのであろうか。言葉を変えて言うと、こんなにも便利で複雑な機械をほんのわずかな知識しか持ち合わせずに、簡単に利用できるようになった頃からのような気がしてくる。
 その典型的な物が自動車であろう。確かに運転免許証を取得するのには「法令」「構造」という試験問題をクリアしなければならないが、かと言って、合格した人がエンジンの知識をすっかり習得したという証明にはならないのは衆知のことである。車が故障しても、即座にその原因をつきとめることなど到底できない。通常の人間にはこうした場合、せいぜい修理工場に電話を入れるか、ロードサービスに一報を入れるぐらいしかできない。ただただ、専門家の到着を待つしかないのが実情である。
 つまり、成熟した社会では機械にまったく無知な人間が使っても、充分に操作ができて、安全性を保ちうる装置が不可欠という時代に突入していくことになる。
 そのうち、PL法なるものが幅を利かして、【こうしてはならない】、【ああしてもならない】などと使用者の注意を喚起するような表示がなされるようになり、幼児化を促進する。
 そうした大きな流れの中で、煙草の包装紙に「健康のために吸い過ぎに注意しましょう」という表示が書かれ、果ては「空き缶やペットボトル、煙草の吸い殻などのポイ捨て禁止」などという条例を制定せねばならないほどに社会は幼児化してしまった。
 言い過ぎなのであろうか。いずれにしても、人迷惑な行為はいつの時代でも迷惑で、変わらないと思うのだが、・・・。

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