どんな人生でも、それなりに価値があるものだ

 Issaが通っていた中学校は、俯瞰図を描いてみると東から順に二階建ての校舎棟が三つ並んでいる。手前から3年生の棟、その奥が2年生、そしていちばん奥が1年生の棟になっていて、2年生の棟と1年生の棟の間に中庭があり、その半分が軟式用のテニスコートになっている。
 Issaが2年生になってすぐの頃、放課後に二階の教室の窓から、そのテニスコートで練習をしている女の子たちの姿を見るの好きだった。とりわけ同じクラスのノンちゃんが、軟式テニスの練習を生真面目くさってやっているのを眺めているのが好きだった。
 Issaから見て、とても運動神経がいいとは思われないノンちゃんがなぜ軟式テニス部に入部したのか分らなかったが、白いプリーツスカートのようなテニス部のコスチュームがとても可愛くて、自分のコートに返されたボールを必死の表情でボールを捉まえにいこうとするが、ノンちゃんのラケットは見事にタイミングをはずして、思い切り空振りをする。その落胆振りが大人びていて、口元がまた可愛いくてたまらない。Issaはそれを見て、ふふっと含み笑いをする。
 そんな時期がどれほど続いたであろうか、中学生も2年生の3学期ともなると高校受験が忙しくなり、テニス部の連中が中庭に集まってこない日が徐々に増えてくる。そんなときでも、ノンちゃんはいつものコスチュームに着替えて、練習相手のいないコートにやって来て、盛んにラケットの素振りを繰り返していた。
 ある日、ノンちゃんの目と二階にいるIssaの目が合った。
 両手をマイクロホン代わりにして、「Issaくん、ヒマでしょ。練習付き合ってよ」とノンちゃんが大きな声を掛けてくる。
 「ラケットを貸してくれるんなら、付き合ってあげてもいいよ」
 「うん、分った」
 「トレパンに着替えるから、待っててよ」 Issaはそんなに話したこともないノンちゃんに急に誘われて、途端に気分がハイになってきた。二階から精一杯の速さで中庭に出てみると、他に誰もおらず、テニスコートは二人で独占される形になった。
 Issaは運動神経はいい方だ。ノンちゃんの打ってくるボールはスピードがないばかりか素直なボールばかりで、テニス経験のないIssaでも打ち返すのは、そんなに難しい動作ではない。Issaはしばらくすると単純なラリーに飽きてきて、カットボールで返したり、テニスプロが打つライジングボールの真似をして、思いっきり打ち返したりした。
 「曲球ばかりで打ち返さないでよ。練習にならなでしょ」 Issaの意地悪な返球に苛立ってきたのか、ノンちゃんの声が上ずってきた。怒った顔も満更でもないな、やっぱり可愛い、Issaは不埒な考えを押し殺して、日が落ちるまでノンちゃんの練習に付き合った。練習を終え、テニス用具を一緒に片付けていて、たまたま同じ方向に向かう行動のタイミングが重なって、Issaとノンちゃんは急接近した。
 Issaは驚いた。目の前にノンちゃんの日焼けした小顔があり、セーラー服を着ていたときにはそうは思わなかったが、テニスのコスチュームの上から見たノンちゃんの胸が意外に大きいのに気付いて吃驚したのだ。
 見てはいけないものを見てしまった。それから、Issaはノンちゃんの胸を意識している自分が怖くなって、誘われてもテニスの練習の相手をすることはなかった。
 幸か不幸か、3年生もIssaとノンちゃんは同じクラスだったが、卒業するまで口を利くことはなかった。ノンちゃんのそばに行くと、どうしても自分の目がノンちゃんの胸付近にいってしまい、声を掛けるのが照れ臭くて仕方がなかったからだ。
 25年後、Issaは中学のクラス会があり、久し振りに出席してみると、クラス会の幹事の人から、出席か否かを問い合わせる往復はがきが、ノンちゃんの旦那さんから送られてきて、クラス会開催の前年にノンちゃんが癌で亡くなったと書き込まれていたと報告がされた。座が一瞬凍てついた。40歳半ばであった。
 Issaはふと、中学校の中庭でノンちゃんとテニスをやったときのことを思い出していた。
 ノンちゃんの人生が、どんなに短い人生でも、全然思うようにいかない人生でも、価値がないとか、生きてきた意味がないとか、そんなことは絶対にない、・・・・・・あってはならない。
 「Issaくん、曲球ばかりで打ち返さないでよ」 ― ノンちゃん、君はほんとに可愛かったよ。
 ノンちゃんの存在は永遠に自分の中から消滅することはない、― Issaはそんなふうに考えていた。

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