果たして、美しい散文とは

 私は去年11月にアキレス腱を断裂してから、ベッドで寝るようになり、癒えた今でもベッドで寝る習慣を元に戻せないでいる。と同時にベッドにもぐりこんでから、眠気が襲ってくるまで本を読む習慣も継続されたままだ。
 そのときに読む本のジャンルはこれと言った決まりがある訳ではないが、圧倒的にエッセイが多い。それは一つのテーマで長くても400字詰め原稿用紙5、6枚程度のものが多く、ギリギリ眠気が襲ってくる時間までに読み切ることができるからだ。日によって読む作家は異なるし、またページを順を追って杓子定規に読むとも限らない。そのへんは、その夜のまったくの気まぐれだ。画像
 昨夜は、立松和平氏のエッセイ集『回りつづける独楽のように』を読了した。
 氏は1947年生まれで、私より3歳年下で、いわゆる団塊世代であり全共闘世代でもある。従って、氏の世代と私たちの世代とは世間で起きた多くの出来事を、直接的な関わり方の濃淡や拘り方に強弱はあるにしても、共に同時体験した世代でもある。その視点からしても、このエッセイに取り上げられているテーマ、『故郷』『放浪』『定着』『青春』『映画』『読書』『労働』『学生運動』『家庭』『肉親』などはモロに私たちが試行錯誤を重ねつつ思い悩んだテーマでもある。
 そういった意味からすると、私の「失われた10年」の愚行とオーバーラップする内容が多いように思われる。私の愚行は、どこまでいっても愚行でしかないが、氏の行動はしっかりと氏が描く文学の根っこになっていて、いわば小説を書くために種を撒いた時期でもあるように私には思える。誤解を恐れずに言えば、転んでもタダでは起きない気持の強さが其処ここに垣間見えてくる。
 読み終えると、いつの間にか、忘れかけていた自分の青春が蘇えってくるような気がしてきた。同世代のリアリティーがそうさせるのであろうか。

 このエッセイ集の最終章は【『マレー蘭印紀行』紀行】という章である。『マレー蘭印紀行』は詩人の金子光晴氏の紀行文で、シンガポール、マレー、スマトラ、ジャワについて書かれている。発表のあてもなくノートに書きつづられ、遅れて昭和15年に刊行されたそうだ。立松氏は断片的に金子氏のこの紀行文の文章に触れることはできたようだが、全文を読むことはできなかったと言う。だが、それでも氏はこの紀行文の中に書かれた美しい文章に心惹かれて、部分的にたびたび引用したと回顧している。
 その後、昭和51年に金子光晴全集が中央公論から刊行され、全文を読むことができたが、若い頃から放浪を重ねた氏は、実際に見た数々の光景が、金子光晴氏の『マレー蘭印紀行』を通して、見事に写されていて、自分自身の文章の貧しさと若さを思い知らされたと記している。
 そして、改めて金子氏の次のような文章を掲げて、その文章の素晴らしさを取り上げる。
 「川は、森林の脚をくぐって流れる。・・・・・・泥と、水底で朽ちた木の葉の灰汁をふくんで粘土色にふくらんだ水が、気のつかぬくらいしずかにうごめいている」
 そして、立松氏はこの文章について、こう解説する。
 <美しい散文である。粗暴な力を秘めて崩壊と再生をくりかえしてきた自然と、壊れゆく危機に立った人間との、微妙な息遣いにもにた交感がここにある。書こうとして無理矢理文章をひねりだしたのでなく、当時日本人が経営するゴム園や鉄山を巡って絵を売っていた貧苦の旅絵師にすぎなかった放浪者の彼が、詩人であるかただの無宿であるかの瀬戸際のところで、水が流れ出るようにしずかにペンをとったらしい痛切な情感があるのだ。皮膚感覚による切実な表現とはこういうものだと思ったのだった。>
 さすがに金子氏は詩人である。この立松氏の解説に対して、私などが異論を挟む余地はまったくない。
 私には変な癖があって、原文の日本語の匂いを残しながら、いかにすれば英訳が可能かどうかを考えてしまうのだ。内容もさることながら、まず美しい日本語だという小さな感動が先にあって、その感動志向が英単語のどの言葉にも置き換わらず、詰まるところ英訳ができないとの結論に達したときに、私は心の底から、その文章に感動するのだ。呆れるばかりの習癖である。
 昨日、このブログに書き込んだノンちゃんの話ではないが、自分の感動する文章にいかに多く出会えるかで、その後の文学に対する付き合い方も大きく差異が出てくる気がしてならない。

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