今はただ、高校時代のガムシャラさが懐かしい

 2日前から、重松清氏の小説『熱球』を読み出した。
 重松氏の作品の中に、高校時代の野球部に関する小説があるのは知ってはいたが、なかなか読む気になれなかった。というのは、高校時代、競技人口の多寡はあるにしろ、さまざまなスポーツに勤しむ若者がいるのに、野球だけが大きくメディアに取り上げられることに疑問を感じていた私は、この30年近く、たとえヒネクレ者と言われようが、高校野球にはまったく興味がなかった。
 ところが、第91回全国高校野球選手権愛知大会で、我が母校の高校が準決勝に出場することを、大府市の市会議員をやっている2年先輩から聞いて、自分の今までの気持に反して、地元テレビで放映されている試合を食い入るように観てしまった。そして、案に反して我が母校が準決勝の試合を勝ち上がったとき、私は不思議な気持におちいっていた。
 我が母校は、私のサラリーマン現役時代、春のセンバツには愛知県代表校として過去2度選ばれたことがある。当時、私はセンバツに我が母校が出場になることさえ知らずにいたが、わが町の高校OBたちが寄付金を集めに来て、2回ともささやかに一口の寄付を協力することで始めて知ったほどである。
 ところが、今回は優勝戦までには、8回もライバル校に勝っていかなければ、甲子園の出場する権利を取れない過酷な夏の大会ということもあって、おそらく今までになく私の気持が動いたのであろう。
 こんな気持になったのは、おそらく、3年前にこの自分のブログを立ち上げて、過ぎ去って行方不明になりそうな自分を探しにいこうと毎日文章を綴ってきたことに、その源があるのかも知れない。
 残念ながら、決勝戦は中京大中京に敗れてしまった。翌日、中日新聞の県内版には、2面を費やして、この決勝戦の報道で埋め尽くされていた。その中に我が母校について、次のような記事が載っていた。
 <県内でも有数の進学校で、文武両道を重んじる校風。塾通いをする部員もいる中で、練習では「一球一球に集中し、練習の質を高める」(副主将=3年)努力をしてきた。朝七時前から自主的に練習する部員が現れると、練習開始時間の競走をするほど練習に熱中した。>
 私はここで、何も自分の母校の自慢をする気持は毛頭ない。ただ単に高校時代のガムシャラさが懐かしいのだ。こうしたガムシャラさは何も運動部だけの専売特許ではない。文化部だって、そのガムシャラさは負けていないのではないか。
 私は文芸部に所属して、部の機関紙だけでなく、資金繰りと原稿集めに絶えず苦しみながらも、詩や随筆、小説などを掲載する同人誌を発行した。朝あら晩までたった2年間ほどだが、それこそガムシャラに取り組んだ。青臭くてホロ苦いが、間違いなく、私の青春時代だ。
 我が母校の県大会決勝戦は、そんな自分の青春時代を改めて思い起こさせてくれた。この歳になって、ヒネクレ者の私にも、高校野球に夢中になる人たちの気持が少しばかり分るような気がしていた。
 
 愛知県大会の決勝戦が終わったあと、私は重松清氏の『熱球』を読んでみようと思い、自宅近くの本屋に出掛けて行った。
 重松清氏の小説『熱球』は、失業した三十八歳の男が、小学五年の娘とともに故郷へもどり、妻とは別々に住んで新しい生活を始めるという物語で、主人公の清水洋司の通った高校は県下でも有数の進学校で、彼はその高校で野球部のエースだった。県大会で運よく決勝戦まで進みながら、甲子園の夢があっけなく消えたという過去があった。その話がベースになって、物語は進んでいく。
 この小説の読後感はまた改めて書き込もうと思っているが、ただ、今はこの小説を読むことによって、自分が高校時代に何を考えて、どんなことに思いを寄せて、どんなふうな夢を持っていたかを解き明かしてくれるキッカケや手掛かりが掴め、今の自分がここにいる【種明かし】ができないだろうか、― これは、自分の過去にまつわるものならば、藁をも掴みたい今の私の正直な気持である。

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