45年前の 35枚の感想文

 昨日は粗大ゴミ収集の日であった。
 先週、近くの大型量販店に行って本棚を買ってきて古い本を整理してきたが、それに伴い、40年間で、徐々に本の重みに耐え切れずに、いびつになったカラーボックスを廃却しようと思い、引っ張り出してみると、そのカラーボックスの陰から、くすんだようなA4サイズの藁半紙の束が出てきた。画像
 私は45年前、隣り町の東浦町中学校で、教員免許取得のために教育実習をした。
 A4サイズの藁半紙の束というのは、その実習の最後の授業のときに、臨時担任をやらせてもらっていた2年2組のみんなに、私のことについて、悪口でもいいし、実習期間内に行われた社会見学のことでも、運動会のことでもいいから書いてほしいと頼んで書いてもらった感想文であった。私が二十歳のときのことである。
 確か、2年2組は39人のはずであったが、一枚一枚、藁半紙の枚数を数えてみると35枚、つまり、4人ほどは感想文を書いてくれなかったということで、3週間という期間は、悪口も書けないほどに短くて、その子たちにとっては私の存在は印象が薄かったのであろう。
 その感想文の間には、3枚の集合写真が挟まっていた。社会見学で行った渥美半島の恋路が浜とフラワーセンターの温室の前でのクラス集合写真と引率していった先生たちとの集合写真であった。
 確か、私の英語の指導委員であった女性の先生から、数枚のスナップ写真ももらった記憶があるが、今はどこにいってしまったのか、全く記憶にない。
 私はこの教育実習の1年後、養父が胃癌に罹り、否応なく、養父母を養わなければならない立場に追い込まれていって、思い描いていた夢の一つ一つが泡沫のように消えつつあり、同時に過去との決別のために、私は敢えて、思い出となるものを破棄していったが、たぶん、そんな過去の決別品の中に紛れ込んでいったのであろう。
 この感想文がなぜ、人の目の届かないカラーボックスの裏に押し込まれていたのであろうか。画像
 今日、改めて女房に尋ねてみると、古い家から今の家に引っ越してくるときに、私はアッサリ、「もう捨てても構わないよ」と言ったそうだが、捨てるのがどうしても気になって、こっそりとカラーボックスの隅に押し込んで持ってきたらしい。
 実は、恥ずかしい話だが、私は教育実習をしたこの年の暮れからの記憶が途切れ途切れで定かでない。養父母を養うために、昼も夜も働いていてたこともあるが、その日その日が必死で過去を振り返るほど余裕がなかったからだ。
 ただ、この教育実習の頃は、まだ充分に夢を見られた最後の時期である。だが、集合写真の自分を見てみると、生徒たちの感想文の中にも多く出現してくるが、頭はぼさぼさで、服装はだらしがなく、緊張感のない表情をしている。私にも、青春のある時期、典型的なノンポリ学生で、ノー天気に日常を生きていた時代があったのだ。
 そう想うと、いまさら詮無い事だが、自分自身が愛しくなってくる。 

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