子どもたちの記念樹
今日、朝起きてみると喉がいがらっぽい。昨夜、夜中の12時頃に風呂に入り、パジャマに着替えず、下着のまま、寝てしまったのが悪かったのであろう。風邪を引いたのかも知れない。
用心して、風邪薬を飲んで寝ていると、午後1時近く、ボリュームがマックスにしてある玄関のインターホーンが鳴り、慌てて着替えて出てみると、日本郵便から返却品が届いた。日本郵便からの返却品は、抱えるには少し大きめのダンボール箱で、その上に次のようなメッセージが貼付してあった。
<この小包郵便物は名宛人不在のため留置通知のうえ七日間当支店にて保管しました。留置期間を経過後再度お伺いしましたが、ご不在の為、配達できませんでしたのでお返しします。>
たぶん、東京の息子に、女房が日用品とか、インスタント食品とか、息子の好きな果物やこの地方しか手に入らない赤と白のミックス味噌などを息子宛に送ったものが、返却されてきたのであろう。宛先を確認するとやはり、そうであった。
私は何も聞いていないので、女房が帰ってくるまで、何も手を付けずにそのまま、玄関脇に置こうと思って、持ち上げてみると意外と重たい。おそらく、女房が夏祭りの抽選券で運よく引き当てた5Kgの「コシヒカリ」が入っているのかも知れない。
今月4日で、息子は30歳になる。私が心新たに気を引き締め、サラリーマンに徹しようと決心した歳でもある。未だに、息子の声は私に届いてこないが、一刻も早く生き甲斐を見つけ、自分の道を切り開いていってほしい。今はただ、そう願うばかりである。
そんなことを思いながら、ふと庭の柿の木を見ると、つがいのヒヨドリが来ていて、色味がかった柿の実を仲良くついばんでいる。今年、初めてじっくり、柿の木を見てみたが、驚いたことに、去年は数個しか実をつけなかった柿の木が、今年は数十個の柿の実を付けている。
去年、女房の要望で、自由自在の方向に伸び放題の柿の枝を剪定したのが功を奏したのであろうか。剪定要領は、柿の木は上に伸びる枝を切り、横に張って伸びる枝を残すように、子供の頃に養父に言われたことを思い出し、自己流でバッサリ切ってみたのである。
ここ数年、この時期になると、ヒヨドリは熟れた柿の実をついばみに、我が家の庭にやってくるが、毎年、同じヒヨドリなのであろうか。それとも、もうすでに代替わりをしているのであろうか。そんなたわいもないことを思い、じっとヒヨドリを見ていた。
実は、この柿の木は息子が生まれたとき、記念樹として、庭に植えたものである。娘の記念樹の金柑は、娘が嫁に行った日に、私がこっそり伐採した。娘はもう、よその家にやった子である、この家に寝付いた記念樹はもう必要ないと思ったからだ。
幸か不幸か、娘も息子も自分の記念樹を知らない。
所詮、子ども誕生の記念樹というものは、子どもの成長に伴い、自分の家族の【在りか】を確認するために、親たち自身のための記念樹であって、決して、子どものための記念樹ではない。
女房の帰ってくる前に、ひとつ、柿の実を千切って、食べてみた。熟れるにはもう少し、時間が掛かりそうだ。
用心して、風邪薬を飲んで寝ていると、午後1時近く、ボリュームがマックスにしてある玄関のインターホーンが鳴り、慌てて着替えて出てみると、日本郵便から返却品が届いた。日本郵便からの返却品は、抱えるには少し大きめのダンボール箱で、その上に次のようなメッセージが貼付してあった。
<この小包郵便物は名宛人不在のため留置通知のうえ七日間当支店にて保管しました。留置期間を経過後再度お伺いしましたが、ご不在の為、配達できませんでしたのでお返しします。>
たぶん、東京の息子に、女房が日用品とか、インスタント食品とか、息子の好きな果物やこの地方しか手に入らない赤と白のミックス味噌などを息子宛に送ったものが、返却されてきたのであろう。宛先を確認するとやはり、そうであった。
私は何も聞いていないので、女房が帰ってくるまで、何も手を付けずにそのまま、玄関脇に置こうと思って、持ち上げてみると意外と重たい。おそらく、女房が夏祭りの抽選券で運よく引き当てた5Kgの「コシヒカリ」が入っているのかも知れない。
今月4日で、息子は30歳になる。私が心新たに気を引き締め、サラリーマンに徹しようと決心した歳でもある。未だに、息子の声は私に届いてこないが、一刻も早く生き甲斐を見つけ、自分の道を切り開いていってほしい。今はただ、そう願うばかりである。
そんなことを思いながら、ふと庭の柿の木を見ると、つがいのヒヨドリが来ていて、色味がかった柿の実を仲良くついばんでいる。今年、初めてじっくり、柿の木を見てみたが、驚いたことに、去年は数個しか実をつけなかった柿の木が、今年は数十個の柿の実を付けている。
去年、女房の要望で、自由自在の方向に伸び放題の柿の枝を剪定したのが功を奏したのであろうか。剪定要領は、柿の木は上に伸びる枝を切り、横に張って伸びる枝を残すように、子供の頃に養父に言われたことを思い出し、自己流でバッサリ切ってみたのである。
ここ数年、この時期になると、ヒヨドリは熟れた柿の実をついばみに、我が家の庭にやってくるが、毎年、同じヒヨドリなのであろうか。それとも、もうすでに代替わりをしているのであろうか。そんなたわいもないことを思い、じっとヒヨドリを見ていた。
実は、この柿の木は息子が生まれたとき、記念樹として、庭に植えたものである。娘の記念樹の金柑は、娘が嫁に行った日に、私がこっそり伐採した。娘はもう、よその家にやった子である、この家に寝付いた記念樹はもう必要ないと思ったからだ。
幸か不幸か、娘も息子も自分の記念樹を知らない。
所詮、子ども誕生の記念樹というものは、子どもの成長に伴い、自分の家族の【在りか】を確認するために、親たち自身のための記念樹であって、決して、子どものための記念樹ではない。
女房の帰ってくる前に、ひとつ、柿の実を千切って、食べてみた。熟れるにはもう少し、時間が掛かりそうだ。
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