中学時代の友だちと会って
昨日、中学時代の友だち4人と会い、トヨタグループの豊田自動織機製作所の福利厚生施設「シャインズ」で夕食を一緒にした。
昨日、集まった目的は、最近元気のない私を慰めるためということで、NorikoさんとAkemiさんが骨を折ってくれた訳だが、どうもついつい、中学時代の思い出話しに花が咲いて、私を気遣ってくれていることは、態度でひしひしと感じられるものの、面と向かって慰めの言葉を受けることもなく、時間だけが瞬く間に通り過ぎていく。
最近の話題で、女性群が盛り上がったのは、自然農法で作られた食材が、如何に人間の体のためになるかとか、この世の中でスピリチュアルな面が、普段の生活や人間の精神に如何に関わっているのかという話であった。
サラリーマン時代の私にとっては、食事は単に食欲を満たすだけの意味しかなく、重点は飽くまで、次の仕事へのつなぎであり、何処まで行っても、今までの生活の中では、食が主体となることはなかった。
だが、最近、女房が去年6月から、市の畑を畳6畳程借り、自家菜園をするようになった。健康のため、農薬を使わず、根気よく畑を手入れし、何種類もの野菜を作るようになった。だから、中学時代の女の友達たちが強調する自然農法による食材が、如何に体にいいかは、ここのところ、自家菜園に夢中な女房の影響もあって、共鳴することが多かった。
別に被害者意識は持っていないが、毎日、女房の意向で、どんぶり一杯の野菜スープを飲まされるし、カレーライス用の皿にのせられた生野菜のサラダを食べさせられている。それを食べ終わらないと通常の食事がいつまで経っても、食卓にのぼらない。否応なしに女房に洗脳させられつつある私は、女房に歯向かいもせず、文句も言わず黙って食べているが、願わくば、量をもう少し減らし、野菜スープの味付けを私好みにしてほしいと心底思っているが、女房の意気込みを目の当たりにしていると、気の弱い私ゆえ、なかなか言い出せないでいる。
昨日、Norikoさんが、自然農法に関するノートや微生物群(EM処理)を活用した生活環境に関する資料を私に渡してくれたが、今日、早速女房はそれを持って、今母親の看病をしている病院で、時間を見つけて読んでみると言って、朝早く出掛けて行った。
ただ、何に関しても懐疑的な私は、スピリチュアルな世界にはなかなか近づけないでいる。
会社でどんなに土壇場に追い込まれ、如何に息詰まった状況になったときでも、常に現実にあるがままの目の前の資料やデータで、一刻も早いデジジョン・メーキングをタイムリーにしなければならないという教育を絶えず受けてきたこともあり、たとえ、資料やデータのない場合でも私は、神頼みのような他人任せの目に見えないスピリチュアルな世界に影響されたことはなかった。従って、女性群の話しているスピリチュアルな世界が、私には不思議な国の話を聞いているように思えて、なかなか身近に捉えることができなかった。
特に、私はサラリーマン時代、管理者の役目として、部下がオカルト集団に入信していないかどうか、霊感商法に遭遇し、被害を受けていないかどうか、仕事に支障がないように常に気を遣っていた。そのせいかも知れないが、なかなかスピリチュアルな話しには積極的に入っていけず、ある一定の距離感を置いて、女性群の会話を聞いていた。
私は女友達たちの今までの人生に思いを馳せていた。複数の子供を育て、常に家族を思い、家を守ってきた女性たちの感性は、仕事第一をいつも心に秘めて、外向きに生きてきた男の感性とは、やはり、かなりの距離感があることに改めて気付かされた気がする。だが、彼女たちの話を聞いていて、社会の第一線をRetireした今は、これからの人生の向かって、同じスタートラインに立ち、同じ目線で生きなければ、スクラムを組んだ夫婦生活はできないという思いが強くなってきたことだけは確かである。
いずれにしても、何の利害もなく打算もない中学時代の友だちの言葉は、自然に私を勇気付けてくれるし、自分の存在証明の確かな証しにもなってくれる。それは、誰が何を言おうが、紛れもない事実である。
昨日、集まった目的は、最近元気のない私を慰めるためということで、NorikoさんとAkemiさんが骨を折ってくれた訳だが、どうもついつい、中学時代の思い出話しに花が咲いて、私を気遣ってくれていることは、態度でひしひしと感じられるものの、面と向かって慰めの言葉を受けることもなく、時間だけが瞬く間に通り過ぎていく。
最近の話題で、女性群が盛り上がったのは、自然農法で作られた食材が、如何に人間の体のためになるかとか、この世の中でスピリチュアルな面が、普段の生活や人間の精神に如何に関わっているのかという話であった。
サラリーマン時代の私にとっては、食事は単に食欲を満たすだけの意味しかなく、重点は飽くまで、次の仕事へのつなぎであり、何処まで行っても、今までの生活の中では、食が主体となることはなかった。
だが、最近、女房が去年6月から、市の畑を畳6畳程借り、自家菜園をするようになった。健康のため、農薬を使わず、根気よく畑を手入れし、何種類もの野菜を作るようになった。だから、中学時代の女の友達たちが強調する自然農法による食材が、如何に体にいいかは、ここのところ、自家菜園に夢中な女房の影響もあって、共鳴することが多かった。
別に被害者意識は持っていないが、毎日、女房の意向で、どんぶり一杯の野菜スープを飲まされるし、カレーライス用の皿にのせられた生野菜のサラダを食べさせられている。それを食べ終わらないと通常の食事がいつまで経っても、食卓にのぼらない。否応なしに女房に洗脳させられつつある私は、女房に歯向かいもせず、文句も言わず黙って食べているが、願わくば、量をもう少し減らし、野菜スープの味付けを私好みにしてほしいと心底思っているが、女房の意気込みを目の当たりにしていると、気の弱い私ゆえ、なかなか言い出せないでいる。
昨日、Norikoさんが、自然農法に関するノートや微生物群(EM処理)を活用した生活環境に関する資料を私に渡してくれたが、今日、早速女房はそれを持って、今母親の看病をしている病院で、時間を見つけて読んでみると言って、朝早く出掛けて行った。
ただ、何に関しても懐疑的な私は、スピリチュアルな世界にはなかなか近づけないでいる。
会社でどんなに土壇場に追い込まれ、如何に息詰まった状況になったときでも、常に現実にあるがままの目の前の資料やデータで、一刻も早いデジジョン・メーキングをタイムリーにしなければならないという教育を絶えず受けてきたこともあり、たとえ、資料やデータのない場合でも私は、神頼みのような他人任せの目に見えないスピリチュアルな世界に影響されたことはなかった。従って、女性群の話しているスピリチュアルな世界が、私には不思議な国の話を聞いているように思えて、なかなか身近に捉えることができなかった。
特に、私はサラリーマン時代、管理者の役目として、部下がオカルト集団に入信していないかどうか、霊感商法に遭遇し、被害を受けていないかどうか、仕事に支障がないように常に気を遣っていた。そのせいかも知れないが、なかなかスピリチュアルな話しには積極的に入っていけず、ある一定の距離感を置いて、女性群の会話を聞いていた。
私は女友達たちの今までの人生に思いを馳せていた。複数の子供を育て、常に家族を思い、家を守ってきた女性たちの感性は、仕事第一をいつも心に秘めて、外向きに生きてきた男の感性とは、やはり、かなりの距離感があることに改めて気付かされた気がする。だが、彼女たちの話を聞いていて、社会の第一線をRetireした今は、これからの人生の向かって、同じスタートラインに立ち、同じ目線で生きなければ、スクラムを組んだ夫婦生活はできないという思いが強くなってきたことだけは確かである。
いずれにしても、何の利害もなく打算もない中学時代の友だちの言葉は、自然に私を勇気付けてくれるし、自分の存在証明の確かな証しにもなってくれる。それは、誰が何を言おうが、紛れもない事実である。
この記事へのコメント
中学時代の友達が女性なので、お元気だったのではないですか?
スピチュアルな面以外でもモノにくらいつくエファットは同世代男性よりも女性のほうがある気か致しておりますが。奥様も含めまして。(笑)少々面食らっても楽しかった食事会でよかったですね。
今は女性の賛同を得れば、商売的には成功しやすいとか言われてますね。個人的にはそんな営業・業務傾向はきらいですが。
私には勇気付けられた食事会でした。
コメントありがとうございました。