あなたの祈りは 誰のため?

 男は、どちらかと言えば、祈ることはむしろ、嫌いだった。
 男は女と知り合って13年、付き合いだしてから12年になる。色々なところに二人で行き、寺院や神社で手を合わせる機会があったが、男はおざなりな仕種で、それらしい振る舞いをしていただけで、これまで真剣に祈ったことは一度もなかった。それは、子供の頃から、何か真剣に祈って状況が変わったという経験はなかったし、祈ることで何かが変わるなどという非現実的なことをただ単に信じていなかったからに過ぎない。
 男はまた、特定の宗教に拘るのは苦手である。女がもし、特定の宗教に拘っていたなら、当然付き合うことはなかったであろう。自分の力の及ばない世界があり、その小宇宙の中で自分が生かされているとは感じることはあっても、単に手を合わせ祈るだけで、神様のご加護が得られるなどということが、この世に起こりうるとはどうしても思えないと男は感じている。
 女は無宗教ではあるが、二人で行った其処ここに、神社や寺院があると必ず彼女は熱心に、しかも神妙に手を合わせていた。
 そのことが分ったのは、二人で1998年、愛知県江南市にある曼荼羅寺公園に、藤の花を観にいったときである。二人は知り合ってまだ、2年と経たない時期であり、従って、男は女が神や仏に対して、どんな気持を抱いているのか、全く分らなかったが、長い間、目を閉じ、手を合わせる女の姿を見て、意外と信心深い人なのかも知れないと思った。それと同時に、女の祈る姿が、男にとってはとても魅力的に映っていた。
 私が、「神様に聞こえないようにこっそり、何を祈ったのか教えてくれ。」と言うと、女の口からは、子供たち3人の健康と今受験勉強中で頑張ってる子供の希望校への進学を祈っているという紋切り型の答えしか返ってこなかった。男はいつものように冗談口調で、「俺は、二人が来年も付き合っていますようにと祈ることにするよ。」と言うと、「デートの最中に、普通は、そんな縁起でもないことは、言わないものなのよ。」と男は、いつものように諭され、ささいな喧嘩が始まる。
 一年目の曼荼羅寺は、藤の盛りは過ぎており、2年目は早すぎた。3年目に二人はやっと、藤の見頃に行くことができた。3年目のとき、男がこっそり何を祈ったかを女に聞くと、女は小さな声で、「二人のこと。」と言ったきり、あとは何も語らなかった。

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