ヒカレものの呟き

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zoom RSS 男と女は 何らかのハンディキャップを抱えて生きている

<<   作成日時 : 2017/03/20 21:11   >>

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 私は去年の4月3日から、市の公園のバーベキュー場でアルバイトをしている。
 3月初旬のころは予約客も少なかったので、やはり忙しくなるのは4月に入ってからだと思っていた。だが、先週12日の日曜日あたりから、急にバーベキュー利用者が増えてきた。
 そして18日と19日は気温も上がり、天気もよかったので、それぞれ10組ほどの利用者があり、俄然、メンバー間に活気が出てきた。
 今日の20日は、地元の大手カーメーカーが出勤日で、それに伴い、グループ企業や協力工場、その下請け企業も出勤日となったために、気温が19℃まで上がり、バーベキュー日和とはなったが、実際には2組の利用者しかなかった。
 18日と19日が忙しかったこともあり、拍子抜けといった感じであった。
 公園からの帰り際、ふと女房は両親の墓参りで高浜市まで出掛けていることを思い出した。
 家に帰っても誰もいない。途中、コンビニでサンドイッチとおにぎりを買い、そのまま「おおぶ文化交流の杜図書館」に直行した。
 駐車場でサンドイッチとおにぎりを食べてから、図書館に向った。図書館内の大人向けのスペースは、普段のウィークデイと同じ程度の混み具合で、じっくり読書をすることができた。
画像 昨日、「こだま」という人の書いた『夫の○○○が入らない』を読み終えたが、まだ「あとがき」を読んでいないことに気付き、真っ先に読んでみた。
 「あとがき」には、「こだま」という人の本音が書かれているように思える。「本文」と「あとがき」をセットにして考えてみると、主人公の輪郭がはっきりするような気がしていた。
 私は、この本のタイトルがタイトルだけに、少しためらいながら、購入する前に新刊書店で冒頭の文章を読んでみた。
 <いきなりだが、夫の○○○が入らない。本気で言っている。交際期間も含めて二十余年、この「○○○が入らない」問題は、私たちをじわじわと苦しめてきた。周囲の人間に話したことはない。こんなこと軽々しく言えやしない。
 何も知らない母は「結婚して何年も経つのに子供ができないのはおかしい。一度病院で診てもらいなさい。そういう夫婦は珍しくないし、恥ずかしいことじゃないんだから」と言う。けれど、私は「○○○が入らないのです」と嘆く夫婦をいまだかつて見たことがない。
 医師は私に言うのだろうか。「○○○が入らない? 奥さん、よくあることですよ」と。
 そんなことを相談するくらいなら、押し黙ったまま老いていきたい。子供もいらない。
 ○○○が入らない私たちは、兄妹のように、あるいは植物のように、ひっそりと生きていくことを選んだ。>
 私は「まえがき」とも言えるこの文を読んで、躊躇なく購入しようと思った。【ひっそりと生きていくことを選んだ】過程を知りたいと思ったからだ。
 この夫婦は、いわば「性器の不一致」の男女で、もしも本当にこんな夫婦が存在し、一緒に暮らしていくことができるだろうか、私はそのとき、何の脈絡もなく自分が結婚しようと決心した頃のことを思い出していた。
 ネットにUPされていた発行所の「扶桑社公式特設サイト」には、次のような記述が載っている。
 <“夫の○○○が入らない”衝撃の実話――彼女の生きてきたその道が物語になる。
 同じ大学に通う自由奔放な青年と交際を始めた18歳の「私」(こだま)。初めて体を重ねようとしたある夜、事件は起きた。彼の性器が全く入らなかったのだ。その後も二人は「入らない」一方で精神的な結びつきを強くしていき、結婚。しかし「いつか入る」という願いは叶わぬまま、「私」はさらなる悲劇の渦に飲み込まれていく……。
 交際してから約20年、「入らない」女性がこれまでの自分と向き合い、ドライかつユーモア溢れる筆致で綴った“愛と堕落”の半生。“衝撃の実話”が大幅加筆修正のうえ、完全版としてついに書籍化!>
 確かに、「性器の不一致」とも呼べる夫婦の生き方に関心を持ったが、それはこの小説の縦糸で、もう一つ、横糸として、主人公が担任しているクラスの学級崩壊という事実が描かれている。
 それはあくまでも横糸なので、学級崩壊に関する描写には余りリアリティーはなく、私には都合よく描かれているように思えてならない。
 主人公は、学級崩壊の責任を全部自分で背負い、精神的に追い込まれ、死ぬことばかり考え始める。それを紛らわすために、SNSで知り合った他の男性と何の感情もなく性行為を繰り返していく。一方、夫は夫で、風俗に通い、自分の欲求を埋めている。それでも2人は自分たちの夫婦の形を崩さず、生きていこうとする。
 そして、主人公は結論を出す。
 <子を産み、育てることはきっと素晴らしいことなのでしょう。経験した人たちが口を揃えて言うのだから、たぶんそうに違いありません。でも、私は目の前の人がさんざん考え、悩み抜いた末に出した結論を、そう生きようとした決意を、それは違うよなんて軽々しく言いたくないのです。人に見せていない部分の、育ちや背景全部をひっくるめて、その人の現在があるのだから、それがわかっただけでも、私は生きてきた意味があったと思うのです。>
 世の中には、「性器の不一致」と比較すると、それほど深刻ではないにしても、多くの人は何らかのハンディキャップを抱えて生きている。やがて、そのハンディキャップに対して、さんざん悩み抜き、生きていこうと決意し、そこに自分の存在の意味を見い出そうとする。
 私は読み終えて、この本の中に、そうした不変のテーマが示唆されているように感じていた。

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