ヒカレものの呟き

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help リーダーに追加 RSS 人智を超えた出来事はやはり、運命なのであろう

<<   作成日時 : 2008/12/01 23:10   >>

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 私はこの頃、ずっと、リクライニングベッドで寝ている。
 なぜ、私の家にリクライニングベッドがあるのかと言うと、女房のお母さんが数年前から寝たきり状態になって、それ以来、長男である弟がお母さんの面倒をみているが、不測の事態が生じて、いつなんどき、お母さんを自分の家に引き取って面倒を見ることになるかも知れないと、今買ってもそのまま物置の隅に追いやっておくだけになるかも知れないと思いながらも、弟に預けっぱなしのお母さんに対する贖罪の気持で、女房はリクライニングベッドを衝動的に買ってしまったのであろう。
 ところが、私がアキレス腱断裂という事故を起こしてしまい、最初の思惑とは違い、私がリクライニングベッドを最初に使うことになってしまった。
 人生は思わぬ出来事がたびたび起こり、予断の余地のない出来事に遭遇するもので、今この瞬間が初体験である自分の人生を予測することなど、到底できるものではない。
 朝はそのリクライニングベッドのすぐ横に飯台を置き、ベッドに腰掛けながら食事をする。食事が終わったあと、ふと目線を上げると、壁に亡くなった養父の写真が飾ってあり、嫌でも目に飛び込んでくる。不注意でアキレス腱を断裂し、ベッドでの生活を強いられることがなければ、正月や養父の命日、春秋のお彼岸やお盆など、今までの私の生活の中では、そうした特別の日以外はまず、養父の写真を見ることはなかった。
 ところが、孫たちが来たときのことを考えて、女房は充分に遊べるスペースを確保するために、ベッドの配置を自分で決めて移動させてしまった。そのベッドの位置は私が何気に目を上げると、額縁に入った養父の写真と真正面から対峙することとなったのである。
 養父は私が22歳のときに亡くなった。ということは、もう亡くなってから42年も経っているということだが、ひょっとすると、今まで養父の写真を見た回数とこの3週間の間に写真の中の養父と対面した回数を比較した場合、この3週間の方が多いのかも知れない。それほどに、この3週間は養父の写真を見る機会が多くなった。
 養父は59歳で胃癌で亡くなった。そして、額の写真は、養父が元気な頃の写真で、55、6歳頃の写真であろう。たぶん、季節は夏であろうが、きちんとネクタイをして、少し微笑んでいる。おそらく、この頃は私が大学に入学した頃で、やっとこれで息子も一人前になるであろうという安堵感が、カメラを見つめる視線の中に満ち満ちている。その表情は、毎日顔を洗うときに、嫌でも見つめてしまう鏡の中の自分の表情よりも随分若く見える。
 最近の私は気が滅入っているせいであろうか、自分は養父の望んだ人生を歩んできたのだろうかと養父の写真に問い掛けることがある。
 中学生のとき、姉の出現で自分が養子だということが分ったとき、それまでの周りの雰囲気から、私はうすうす、そのことを感じていたのであろうが、自分でも不思議なほどに、自分が養子だったことに特別驚きもせず衝撃もなかったように記憶している。ただ、公になったのを機に、養子になった経緯だけは機会あるごとに養父母にしつこく尋ねていたように思う。やはり、私に対する気遣いからなのか、私がどんなにねだっても養父も養母も口を濁して、なかなか詳しい説明をしてくれなかった。
 ただ、あまりのしつこさに、養父母が洩らした点のような微かな断片的な言葉の端々から、線になるように私なりに想像するとこうなる。― ― ― 子どもができず悩んでいた養父母に、たまたま養子縁組を世話してくれる人がいて、わざわざ二人で名古屋市瑞穂区にあった私の実父の在所に実際に出向いていったそうである。
 そこには、幼子3人を抱えた実母がいて、私より四つ上の姉、二つ上の兄、そして、一歳にもならない私がいたそうで、姉はもう一人歩きができるほどに成長しており、養子にもらっても母親恋しさに泣かれて、どう対応していいか分らなくなってしまうのを恐れ、兄はたまたま吹き出物がひどく、ずっと泣いてばかりいたし、終戦直後のこととて、乳飲み子の私を育てるには自信がなくて、養子縁組を諦めて帰ろうと思ったというのである。
 だが、養子縁組を仲介してくれる人が、むしろ、何も知らない乳飲み子の私を養子にした方が、将来、本当の親子のような情愛が生まれるのではないかとのアドバイスに従って、私を養子にすることを決心したという。
 その後、養父は私のミルクを確保するために、それまでの洋服の仕立て屋をやめて、5年間ほど練乳を作っている近くの乳業会社にサラリーマンとして働いたそうである。私がやんちゃになるに連れて、<苦労して私を缶入りの練乳で、ひもじい思いもさせずに育てたのに、何でそんなに人様に迷惑を掛けるのか>と養父母に言わせてしまうほどに、私は中学を卒業するまで二人を悲しませてきた。そのあたりから、私の記憶の中におぼろげながらも残っている。
 
 外出ができず、嫌でも養父の写真を見ていると、もう二度と思い出すことはないと忘れ去っていたことも、ひょんなことがキッカケで不意に頭を駆け巡っていく。そして、自分の意思とは別に、数人の思惑で自分の人生に、はずすにはずせない枠がはめられてしまったことに、何か、今更ながら運命的なものを感じてしまう。
 もし、養父母が、私ではなく姉か兄を養子に選んでいたら、そして、諦めかけていた養父母に養子縁組を仲介する人が、私を養子にしたらとアドバイスをしていなかったら、昭和20年の物不足のときに練乳を手に入れるために養父がサラリーマンになってくれなかったら、一つ一つ積み上げ考えていくとやはり、養父母との間に運命的なものを感じてしまう。
 私がこの世に生まれてきて、死んでいくのは宿命で、生まれてから死ぬまでの間に自分の意思に関係なく、自分の身の上に降りかかってくる人智を超えた出来事はやはり、運命なのであろう。
 亡くなってから、42年も経てば、養父を懐かしむのは、もう息子の私しかいないのかも知れない。

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