ヒカレものの呟き

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help リーダーに追加 RSS 花盗人は罪にはならないから

<<   作成日時 : 2008/05/02 23:57   >>

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先だって、深夜、手に持った傘で、歩道のプランターの中のチューリップの花の部分を、次々となで切っていく男の姿を防犯カメラが捉え、何度も繰り返して、その行動をテレビで放映していた。
映し出されていた男は、スーツにネクタイという典型的なサラリーマン風の中年男であった。物言わぬチューリップをなで切るその素早い行動と無表情な姿を観て、私は背中に寒いものを感じて、慄然と画面を観ていた。鬱積したどんなストレスがそうさせたのであろうか。
男は一歩家を出たら、七人の敵がいると言われてきた。だが、どんなストレスが溜まりに溜まったとしても、常識のある人間がすることではないし、許せる行為でもない。
もし、その男が、本当に一般のサラリーマンであったなら、仕事ぶりも、きっと何の躊躇もなく、他人の人格を傷つけても尚、平然としておられる鉄火面のような人物なのであろう。
『花いじめ』は人間の多くの尊いものを知らず知らず蝕んでいき、人間らしさを徐々に奪っていく。

私の養母は、私の前ではいつもしかめっ面をしていて、無愛想な表情を崩さなかったが、そんな養母の日ごろの態度に似合わず、四季を通じて、庭で多くの花を植え、丹精を込めて育てていて、通りすがりの人や近所の人の目を楽しませていた。50年程前のこととて、まだ品種改良が進んでおらず、赤と白のチューリップだけだったが、毎年5月になると庭の三分の一ほどを使って、数十個の花を咲かせていた。
蕾が大きくなり、もう、そろそろと思っていると、いつの間にか、道路側のチーリップが茎ごと抜き取られていく。それは毎年のことだったが、養母は、『花盗人は罪にはならないから。花もどこかで、大事に扱われて、多くの人に観られていたら、それはそれで、花にとってはいいことだから。』と言って腹を立てることはなかった。
悲しいかな、養母について余りいい思い出のない私だが、養母の最大の思い出が、いつも庭で花を育てていたことであり、養母の私に対する最大の教訓は、花を愛でる気持を、私の中に育ててくれたことである。
だから、いけばなの師範の免状を持ち、花に人並み以上に興味のあるF.H.とはいつも気が合ったし、F.H.とのデート先は、花が咲き誇る場所が多かった。
10年前の6月、二人で最初に花を観に行ったのが、愛知県蒲郡市形原温泉の『あじさいの里』だったし、その年の7月、F.H.のリクエストに従って次に観に行ったのが、岐阜県郡上市ひるがの高原の『牧歌の里』のラベンダーだった。
それからというもの、月々にこの地方の花の名所を捜し、二人で出掛けて行ったものであり、実にその後、10年以上も続いたのである。
惜しむらくは、私とF.H.の花の趣味が若干、異なっていたことだろう。私は、薔薇とポピーが好きだったが、F.H.の好きな花はカサブランカとコスモスだった。
養母は、百合の花粉は、着物に付いたら、洗濯しても落ちないからという理由で、一度も自宅の庭で育てることはなくて、私には、最初なかなか馴染めない花であったが、F.H.に出会ってから、カサブランカだけと言わず、あらゆる種類の百合が好きになっていき、今では大好きな花の一つになっている。
いずれにしても、『花いじめ』は人の気持を荒ませ、暗澹たる思いの中、人間不信の泥沼に落とし込んでいく。
何もかも弁えた真面目なサラリーマン風の男の仕業だけに、空恐ろしさを感じたのは私だけではないと思う。

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